俺は今どこにいる? | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥

   9月25日に、哲也さんのサイトが更新されてた。
   
     
http://home.p02.itscom.net/fighting/
   
   ”おれのたわ言”のページが、
   最初、ゴキブリと間違えて踏み潰そうとした
   拾った”ミヤマクワガタ”を育ててるって話になってる。
   で、替わって ”DEMO! ”のページ。
   なんと、
   例の 8曲 フルトラック の、その右下に、   おっと、これは!     

   ”NEXT ”の2ページ目! 発見!
   このああいだ、つい先日まで・・・なかったですよねぇ? (誰に訊いてるんだ?)
   新たに、(俺の中では新たに!)、

   
   『 れんげ草
         
   『 サンドウィッチが教えてくれた

   
   っていう2曲が あるじゃないか!
   
   リアルプレーヤーで再生できて、これもまたフルトラックだ。
   雨で、機械を借りる予定とか色々と狂って、
   明日こそは稲刈りができそうだっていうところに、
   また新曲を聴き込まなければならない、短い夜がやってきてしまった。
   もっとも今般、2曲なので何とか眠らなくちゃな・・・。
   
   しかし、このページ。
   2曲の”曲目”が、画面の真ん中ではなくて、   
   ZIPPOのイラストの右上に添えてある。

   それを 妙に不自然に思っているのは俺だけか・・・。

   
   もしかすると、

   ここへまた次々に
   俺をゾクゾクさせる楽曲が並べられて行ってしまうことになるのか
   だとしたら、だとしたら・・・そんなことがあっていいのか
         
   確かに、”自分の今”を自分から外へ伝える意味では、
   スタジオでレコーディングして、
   プロデューサーを発てて、編集して、それからまた吟味して、   
   そんなふうに時間をかけて CDショップにCDを置いてもらうより、
   ネットで紹介する方が 遥かに即効性がある。
   俺も そういう意味では、自分で書いてるモノを
   カネと手間ヒマかけて””として カタチにしてから出版するよりは、
   ネット上なら、無闇な校正や表現の訂正をされずに、
   ”自分の今”を伝えることができる。
   でも、”今の哲也さん”のやってることは、
   そんな、”ありがちな捉え方”には収められない。
   なぜなら、”プロのアーティスト” だからだ。
   決して、その辺のストリート・ミュージシャンとかが
   ネット上で密かに自分の持ち歌の2~3曲を
   もったいぶって公開してるようなものとは違う。
      (ごめんなさい、へんな比較をしてしまって・・・両者共へ誤ります)
   要するに、「カネを貰ったら素人じゃねぇんだ」 (狩野設備社長より・・・誰?)
   という意味でのプロ。
   しかも、哲也さんの場合は、
   ”音楽”という、
   この地球上に生息する生物において、
   それを ”楽しみ”、”伝えること”を
   雲の上の神様が、
   「やってもいいよ」って、
   ”人間だけに許されたモノ”を扱っている。
      (・・・別に誰かに そう聞こえたわけでもねぇんだけど)
   
   人間・伊丹哲也の歌
   その、どの曲からも、
   そういう ”有り難み”のような魂の底力が ひしひしと伝わってくる。
   ・・・もっと簡単に云うと、俺がよく ストーンズのコーナーで使ってる、
   ”スピリット”っていうこと。   
   決して、簡単に、ネット上に公開してるわけじゃないと思う。俺は。   
   その証拠に哲也さんは、
   「今、俺の作ったこの曲が こういうふうにイイから聴いてよ」とか、
   そんなふうなことは一言も云ってない。
      (・・・”たわ言”コーナーでは他人のCDを紹介してるくらいだ)
   かつて、ローリング・ストーンズのキース・リチャーズ が、
   「音楽、文学、詩、優れた作品は
   リスナーや読者によって解釈されるもので、
   作った側が押し付けるものじゃない」
(1990年RS誌にて)
   って云ってたけど、
   そういうことなんですよ、本物のアーティストってのは。
   そこに俺なんて、足元にも及ばねぇけど、(情けねぇ。)
   この数日、哲也さんの歌で随分と心が洗われて、
   今の俺が一体、”どこから”スタートしたのか。
   それを再認識をすることができた。
      
   人間、誰もが、オギャーって産まれてから今日まで生きてきて、
   その、生きているうちに、いつ頃からか、
   「自分が一人しかいない」

   ってことに気がつく。
   そこで人は、何か残念なことがあったりして孤独になるか、
   友達も家族も いっぱいいて楽しく明るく暮らしてるか、
   様々だと思うけど、
   誰も、勝手に生まれて勝手に死んで行くわけじゃない。
   必ず、押す人がいて 引っ張る人がいる。
   そうやって生きているんじゃなくて、生かされているんだ。
   だから、何かから逃れるために、
   たとえ自分で自分の息の根を止めてみても、
   自分以外の他人を殺めてみても、
   そういう嘘っぱちな生き方は
   本当に弱い人間のすることであって、
   自分自身が ”生かされてる”っていう事実に気づいてないし、認められない人だ。
   
   まぁ、ここは、”mind resolve”の本チャン じゃないから、
   その話のつづきは また今度にして、
   ”人間・伊丹哲也”の歌を聴かせてもらうことにしよう・・・。
   
   
   
   どうでもいいけど
   前回のページのコメント欄で間違えたけど、
     
http://ameblo.jp/badlife/entry-10004571754.html
   ジョニー・キャッシュを返り咲かせたのは たしか、エディ・マネーだったか・・・。
   じゃぁ、ジョンクーガーは誰だっけ?
   
   そういう意味で(
   よかったら、またこのページへジャンプしてください。
   
        
http://home.p02.itscom.net/fighting/
   
   ・・・・・”自分自身”を発見できるのは今だけだよ。
   
   

   
                つづく。