それは「自らが在る」ということだ。
つまり、「自分なりの狙い」があるかどうかということだろう。
バルツォが、ボールの「取りっこ」と同じくらい大切にしてきたこと。
それは、選手一人ひとりが小さい頃から蓄積してきた「自分なりの狙い」だ。
バルツォのどの学年の、どの試合を観ても、必ず個人の今まで蓄積してきた「自分なりの狙い」がベースにある。
逆にいえば、個人の「狙い」のない、またはそれが許されないサッカー(チーム)は、どこにプレーの価値を見いだすのだろう?
だから、自在サッカーは「人を育てる」ことに繋がる。