このブログは息子の受験校の先生方がよく見に来る。
もちろん、自宅から見に来るのをダメとは言えない。
うちは上の子と下の子は違う障害を持っている。
記事にはどちらの障害がどうで、とは書いていない。
しかし、大学の教職員は、お構いなしに、上の子関係の記事も下の子関係の記事も読んで行く。
私もハンデ持ちだから、どの障害がどの家族のものかはっきりしない。
いつもアクセス記録を見ていて、その記事、受験する方の子の記事じゃないし、私の記事でもないのだが、と思いながら見ている。
配慮申請書に化学物質過敏症とか慢性有機リン中毒とか書いたら、その関係のものだけ見るというふうにして貰えないものだろうかと思う。
また、障害のある学生を引き受ける上で、親の事をブログであれこれ調べなければならないものだろうか。
障害のある子どもを引き受けるのも、親次第というのは、考えようによっては差別になる。
化学物質過敏症で配慮を受けるのに、精神科領域の記事を延々調べられるのは、いい気がしません。
受験する子どもの重症度を疑われ、反応する物質を疑われ、親の精神疾患や発達の偏りを疑われて、いったいどうして欲しいのですかと思うことが多いです。
化学物質過敏症は精神疾患だと考えている大学教員もいます。
そういう教員のためにも、何故そういった誤解か生じるのかとか、心因性の反応がゼロか百かとか、そういった精神科領域の話を延々としていると、私の心も荒んでしまう。
どんなに嫌な話をされても諦めない。
薄笑いを浮かべた教職員に泣きたい思いをしながら、受験校を回ります。
受験校にも「化学物質過敏症患者には人権がない」「障害者は感動ポルノではない」といった話をすることがあります。
受験校の教職員の方には、安易にうつ病、発達障害、虐待、ジェンダーアイデンティティといった記事を時間をかけて読んで行く方もいますが、遠慮して貰いたいです。
各記事を何分かけて読んだかということは簡単に解ります。
タイトルだけ読んで、次の記事を読みに行ったか、まじまじと読んで行ったかと言うことはこちらには解るのです。
その読み散らかしように、胸を割かれるような気持ちになることがあります。
そういう場合、きっぱりと受け入れないと早いうちに言って貰った方が心の傷は少なくて済むのです。
また、ポーカーフェイスができない教職員の方は読みに来ない方が、もし引き受けることになった時のことを考えると良いと思います。
親の私の発達の偏りは、面と向かって聞いて下さい。
また、読んで話をする時に配慮してくれるのは、うつ病だから話し合いを午後にする、電話でとりこんだ話を避ける等は配慮して貰えますが、ゆっくり喋って欲しい、視覚優位、頭の作業領域が狭い等については、誰も配慮してくれません。
ブログで調べて配慮しないのなら読まないで欲しい。読んでも、突っ込まれたくない所は早口でまくしたてて話を畳んでしまわれるのですから。