台風一過の大磯港は穏やかな夜明けで始まり、こと更に静寂を感じさせられました……
何事もなく済んだという安心感は、これだけ予報が正確になったこの時代でもやはりあります。

その安堵感から感じる静寂なのかも知れません。

古代であれば……
いつ来るかも分からない台風を、いち早く察知する能力がなければ命に関わります。
そう言う場面を散々くぐり抜けて来た我々の遺伝子が、勢力とかコースをほぼ把握出来るこの時代になっても
「何事もなく済んだ……」
という大きな溜息をつかせるのでしょう。

先人から学ぶことは多くあり、そしてその殆どは物事の本質を教えてくれます。

若い頃は先人どころか、たった二つ三つ歳の違う先輩の言葉にも疑念を持ち不満を持ったものです。
それが良くないことだったとは今も思わず、その気持ちが自らをブラッシングしたとさえ思っています。

しかし社会の片隅で長く生きていると……
メディアであるとか本の情報をいとも簡単に鵜呑みにし、自分で考え咀嚼することをしなくなります。

長く先人から教えられてきた単純明快な真理でさえも、科学的な根拠とやらで否定されてしまうのです。
古代からの人間の考えとは、
父親とは母親とは、
先輩とは……
物事の真理の枠を、文明の利器で万人に納得させられるものなのでしょうか。

「何となく怖い……」 
「何となく不安……」
「何となく楽しい……」
「何となく安心……」

その"何となく"感じるところにこそ"本当"があるのかもしれない、と思う57歳のオッサンはやはり昭和の遺産なのかもしれませんね。

せめて老害だと思われないよう、若い者には口を出さずに生きていきたいものです。






はい、左様なり♪