このコロナ禍の中での初めての帰郷を決めたのは突然のことです。

横浜駅から高速バスに乗ること九時間弱で懐かしの盛岡駅西口に到着し、出迎えてくれた次男と合流しました。


先ずはコンビニで缶ビールを購入して、高架下にあるベンチで乾杯してしばらく話しました。

四年ぶりですかね、岩手に帰るのは…

息子と500mlの缶ビールを2本ずつ飲んでから腹ごしらえをして、外に出たところで知り合いと会ってこれまた懐かしのTULLY'S COFFEEに一緒に行きました。

盛岡在住時にはよく利用させて頂いたお店です。

それから高校時代に居候させて貰い、毎日お弁当を作ってくれた兄のところへ挨拶に向かいました。


その途中で見た岩手山です。

ふるさとの

山に向かひて

言うことなし

ふるさとの

山はありがたきかな

             石川啄木



啄木もきっとこの山を見ていたのでしょう。


兄への挨拶を終え息子は仕事に向かい、少しだけ盛岡の街を歩きました。

兄の顔を見ることもこの帰郷の大きな理由のひとつだったので、安心した気持ちで開運橋を渡りました。


盛岡という街は駅を出て300m程で線路と平行に流れる北上川にぶつかります。
盛岡を出る人も盛岡を訪れる人も渡るこの橋に、開運橋と名付けた感性は素晴らしいですね。
 
この橋は別名を"二度泣き橋"と言います。 

転勤で盛岡に来た人が
「遠くまで来たな…」
と泣きながら渡り
盛岡の人情に触れる生活をし、帰るときは
「まだ帰りたくない」
と泣きながら渡るというのが由来です。

啄木の句は感傷的過ぎて若い頃は共感出来ましたが、この歳になると感性を押し付けられている気持ちになって息苦しくさえなります。
岩手の人間は良くも悪くも単純な人間が多いですから、少ない回路回線の感受性は強いのかも知れませんね。

その人間臭さの中で生活をした人間であれば、開運橋の別名にも納得出来ます。

そして盛岡の締め括りはやはりこれです。

盛岡に冷麺の名店はいくつかありますが、吾輩にとっては盛楼閣の冷麺が他を寄せ付けません。

一番辛いバージョンで調度いい感じです。


これでまた今回の盛岡訪問の悔いはひとつなくなります。


さあ、都内に戻りましょう。




はい、左様なり♪