昨日は定休日だったので朝は定置網漁の魚を見に行って、そのあと息子と娘を誘って家畜市場まで子牛のセリを見に行きました。

自分が子供の頃にやはり実家で肉牛も乳牛も飼っていて、肉牛の子牛は半年ぐらいでセリにかけていました。




子牛がやがて食べられるために売られていくことは知っていましたから、考えるところはありましたが合点がいく到達点はないだろうとも思っていました。




その思いは今も変わらずです。




動物からあらゆる搾取をしないという生き方もあるようですが、ただのひとつの方針であるような気もします。

曲解されることを覚悟で言えば

「嫌いな物は食べない」

という生き方と何も変わらないような気がするのです。


調理中に子供から

「野菜は動物みたいに悲鳴をあげたりしないからいいね」

と言われたことがあります。

「わからんぞ、人間にわからないだけで悲鳴をあげてるかも知れないぞ」

そう返した記憶があります。


お肉を食べることは罪なのでしょうか。

心からお肉を食べたくても必死で我慢していれば、そこに罪はないのでしょうか。


来期も根を張り葉を広げ実を付けて、次の代へと種を残そうという植物を食することには罪はないのでしょうか。




スーパーで牛肉を手に取り

「あんまり美味しそうじゃないね」

なんて言っている人を見ると

「それなら生かしておいてくれよ」

と代弁したくなります。





はい、左様なり♪