この歳で神戸マラソン走って、見つけたモノがあります。 | りんすのブログ

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女装の世界を覗き、本当の自分を垣間見た。
現実社会で堅く生きることだけが人生ではない。

なんて思い始めた今日この頃。殻なんか捨てちおう!!

昨日なんとか神戸マラソン2022を走り終えました。

 

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先の西宮マラソンで課題となった「関門」を意識して走った。

前半はそれもあってかなり早いペースで走れて対関門突破のためのタイムの貯金ができたが

 

 

20㌔超えた後半はやはり6年間のブランクもあり未知の部分が多かったのでトラブル続き。

 

一気に身体の各所の筋肉が震え痛みだした。

やはり急激にあの「絶望感」が頭の中蔓延しだした。

 

予想はしていた。がやはり「辛い」これは言葉では言い尽くせない辛さ。

 

歩いても足の裏がかえって痛い。筋肉も冷えて固くなっていく、

無理して走り出すとやはり絶望感と脚の四か所の筋肉が交代で肉離れをし始める。

前を見れば 途方もない距離が横たわっている・・・

 

 

 

ゴールできたけど、後半は時々歩いたりもしたし、「走ってる」と言っても、もうヨタヨタした姿だったのは

自分でもわかってた、

何百人もの人にも抜かれた、とても惨めだったし悔しかった。

 

年齢もある。今年で辞めようと思った。

 

 

 

 

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しかし・・・

朝、新聞に神戸マラソンの記事が載っていた。

 

神戸新聞朝刊記事より

 

彼女は医療従事者でこのコロナ禍の重労働で心身ともに疲れてたのにマラソンと出会えて「走る」ことで何もかも忘れて

自分を見つめなおすことができたという風な記事が載ってた。

タイムもわたしとそう変わらなかった。とても親近感が湧いた。

決して早くはないのだ。同じように辛かったはずなのだ。

なのに彼女の笑顔はなんだよ。同じ境遇のはたくさんいる、、

 

まだウェアを脱ぎたくない。そんな気持ちになった。

 

 

 

 

もう一枚新聞の片隅にあつた記事。

 

この人が 最後のフィッシャーだったそうだ。

78才で全盲。ゴール手前での写真。

 

 

 

マラソンは本来どんなに疲れてても、他人の介助でのゴールは許されない。

ただし左は全盲のための伴奏者

右は1キロ手前で転倒して身体じゅう擦り傷で出血していたためということなので

医療スタッフが付いたのだろう。

 

でもスタッフも居た堪れなかったなかったのだろう、なんとか公然とした理由を見つけて 

この人に駆け寄りたかったのだろう。

両脇のスタッフの顔からもそれが伺える。

 

 

こういう写真はいろいろ美談と脚色が付き物で、ほんとは歩いたんだろとか、悪態でスタッフに当たったんだろうとか・・・

ネット民の方からいろいろコメントする方もいるかもしれない。

 

けど わたしにはわかるんです。

 

なんであろうとも

このゴール前に現れたことは凄いんです。

 

途中いつでも逃げ出せたんです。

それなのにあの風の強い道路

走っても歩いても距離の縮まらない42キロ、一キロが延々と減らない感覚

あの地獄の坂

あの道、あの辛さ

 

そこをどんな姿であろうが 全盲で高齢で

前進し続けたのです。

 

すごいです。

 

 

 

 

年齢を理由にいろいろ諦めるのはよくないと思った。

そう

 

 

走ってて 心折れかけて みつけたものが ある。

 

まだそれが何かは よくわかんない。

うまく言えないが ボロボロの心身でもう何もかも絶望的なときに 心の左横になにか ぼわっとしたモノ。

 

それが まだいける おまえはそう言う奴 と言ってる。そんななにか ぼわっとしたモノ。 

 

取り出し方も使い方も、ほんとにあるかどうかもまったくまだわかんないけど

 

そんなものも見つけれた。

 

 

 

そんなマラソンだった。

 

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