軍艦島。
ずっと前から行ってみたかった。
そこはかつて戦前戦後の日本の発展を支えた炭鉱の
あった人口5000人の島。
島内には学校、病院、住宅、人々に暮らすには必要なものはすべて揃っていた。
大正時代に日本で初めて鉄筋コンクリの8階建てアパートが建造されたのもこの島だった。
島に近づくにつれ、今まで 映像でしかない姿が 目の前に現実として迫ってきた。
軍艦島に上陸できる可能性は50%以下らしい、世界遺産だけに制約がかなり厳しい。
波が天気によらず50㎝以上あれば接岸寸前でも中止になるらしい。
この日はラッキーにも接岸!
接岸して最初に目に入ったのがこの建物だった。
その時自分に「鳥肌」が立ったのを覚えてる。「とんでもない所に上陸したんだ」って感じた。
何もかもが滅んでいた。
波が荒い日はこの建物を超えて飛沫が島の中央飛ぶという。
日本最古の鉄筋アパート。
建築の専門家からはもってあと数か月と言われている。次の台風で崩れるそうだ
この写真の佇まいも来年はもう見れないだろう・・・
潮風に晒されながらも生活し続けた当時の住人。
島にはそんな自然の驚異に抗い、絶望感を紛らわすかのよう島中を
コンクリートで覆ったのだろう。
しかし、どんなにコンクリートや鉄筋で島を覆っても自然の力は絶大だ。
住人がいなくなればあっという間に自然とこうなるのだ。
重機も何も必要としない。
小、中、高と学校があつた建物、ここでは当時 夢と希望にあふれた大人や子供たちの
笑顔や声で溢れていただろう・・・・
校庭はこの島で唯一「土」があったそうだ。
そう。島には土の地面は存在しなかったのだ。
人々は住むために、自然に抗うために ありったけのコンクリートをぶち込んだ。
島のすべてはコンクリートで造られていた。当時は草も木も無かった。土がないから。
かつてそこに暮らしはあったのだ。
たった数か月の間に全島民はいなくなった。ほぼすべての家財道具をそのままに。
キッチンの皿や洗濯ものさえも・・・・
エネルギーが石炭から石油に時代が変わったとはいえ
どうしてそんなに急がねばならなかったのか・・・謎である。
そう思いながらアパートの路地を凝視してると
なんだか当時の楽しそうな子供たちの声がコンクリートの壁に響いて聞こえるような気がした。
そんな思いに浸れた旅でした。