俺は宗教全般について、あまり良いイメージを持っていない。

根本的なところで宗教に対して疑問を持っているからだ。とはいえ…宗教が「悪」というように思っている訳ではない。確かに「悪」というレッテルを貼られても仕方のない宗教は多々ある。しかし、そういう宗教ばかりでもない。人間に対して良い作用をもたらす宗教も確かに存在するのだ。

宗教はだいたいは「信じること・信仰心」というのが中核なんだろう、と俺は思ってる。

俺の場合は「信じる」ではなく、なんでも比較してより良い方に近づこうと思ってる。こういう態度・こういう行動原理は、信仰心とは全然違うよな~と思っている。

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俺が、「宗教の良いところ」に気付いたのはある出来事がきっかけだった。比較的最近のことだが、俺が本当に困っていて苦しい時に、とても励ましとなる言葉をZさんからかけてもらった。こういうことが実にありがたく、心の支えになる、と感じたのだが、そもそもどうして困っている俺を助けてくれるような言葉をかけてくれたのか?

これは至極単純、Zさんの行動パターン・行動におけるルールに沿って、Zさんは発言しただけのことなのである。

Zさんと言葉を交わし、やり取りをしてもう何年くらいになるだろうか。長年にわたる交流でZさんの行動パターンや思考パターンは大体わかってくる。Zさんは基本的に善良な人間であり、世の中に役に立つような努力をしている。もちろんそういうことを声高に俺に伝えようとは全然しない。自分の善良さを宣伝するためにZさんは日常を過ごしている訳ではないので、宣伝めいたことを言わないのは当然。

そういうZさんは「ある宗教」の信者であり、別にその信仰を隠すそぶりも見せない。

俺は推測する。Zさんの行動パターンに「ある宗教」の教えが大きく影響しているのだろう、と。だとすれば、その宗教を信じる人間は善良な行いをする、ということになるのでは?

俺自身はその宗教の信者ではないが、宗教が時に人間を善良にするという作用があり、それは紛れもなく「善」に分類すべき事柄なのであろう。

(この記事は元はミクシィ日記です)