ミスター悪意。これはカイジから和也へ投げかけられる罵倒の一つ、レッテル貼りだ。漫画の中で、和也は悪意に歪んだレンズで物事を捉えることに終始する。正にミスター悪意。

しかし、ミスター悪意は彼だけなのか?私はそうではないと思う。

私たちが落ち込んだとき、ミスをしたとき、へこんでいるときのその姿は

ミスター悪意そのもの

ではないのか?

もちろん、ミスター悪意にも存在意義がある。そういう穿った見方は時に正しく、また悪意に歪んだレンズを通してむしろ警戒心を強く持つ、あるいは他人への依存の気持ちを低くさせる。

そのような良い作用もある。しかし、物事を客観的に捉えようと考えるなら「ミスター悪意」だけでは明らかに不足。

心の中のミスター悪意とミスター善意。そのバランスを保つ事が肝心だろうと思う。