小笠原源信斎長治は、江戸に道場を開き、現代剣道につながる剣術を教えた剣術家です。その弟子に神谷傳心斎や針ヶ谷夕雲がおり、神谷傳心斎の弟子に高橋重治、高橋の弟子に山田一風斎光徳が現れ、直心影流を名乗ることとなります。直心影流は幕府の講武館で諸流派が集めれた際の有力派閥となり、現代剣道にも色濃く引き継がれることになります。

 

例えば、「気剣体の一致」という剣道を学んだ人であればかならず聞いたことのある言葉も、小笠原源信斎が使い始めたとされています。

さらに源信斎は、明に渡って「八寸の延金」という謎の奥義を使ったとされていますが、これは余談です。

 

さて、源信斎は遠州小笠原家の小笠原与八郎長忠の甥又は弟で、奥山休賀斎(奥平急賀斎)に奥山流を学んだとされています。

 

が、Wikipediaでは1570年生まれとされています。奥山休賀斎が徳川家臣に剣を教えていたのが長篠・設楽原の戦い(1575年)以降なので、これが正しいとすると源信斎は5歳、、、、、、

 

 高天神小笠原家譜では、西退組は主要人物をカバーしているはずですが、該当しそうな人物も見当たりません。

 

ううむ、こまった。