「天才を育てた女房」を観て。 | +。:.゜うららかなブログ。+。:.゜

「天才を育てた女房」を観て。

 

何だか最近、道行く人を携帯で撮ったりしている人が増えたのを「自分がやられたら、やだと思わないのかな」と違和感を覚えていました。


自分が同じことをされたら、すごく嫌だし、秋葉原の事件の時もお亡くなりになった方の写真を携帯で撮ってSNSで拡散した人たちが沢山いたことに絶句しました。


自分の大切な人が目の前で刺され、息も絶え絶えになって、血を流し、苦しんでいる姿を他人が写真に撮り、SNSにアップしたらどう思うだろうか。


苦しくはならないだろうか。


最近では、富士の樹海での海外の有名YouTuberが起こした事件が記憶に新しいと思います。


日本人だけではなく、海外でも起こっている、この現象に違和感を覚える人と、分からない人とがいるらしいが、この感覚は何なのだろう。


自分ではない、誰かの身に起こった悲しい出来事を自分の身に起こったのと、同じように悲しく感じ、苦しくて胸が張り裂けそうになる感覚。


共感性とでもいうのだろうか。


どうやら、「小我」と「真我」が関係するらしい。


小我は、肉体の自分を本来の自分であるとし、その中から抜けられない状態で、


真我は、肉体の自分は本来の自分ではないとし、肉体の自分から抜け出した状態。


だから、小我の状態の人は他人の苦しみ、悲しみ、気持ちが分からずに共感できない。


逆に、真我の状態の人は、すでに肉体を持っている今の自分は、それが全てではなく、魂(心、情緒)が本来の自分だと悟っているので、他人の気持ちに共感でき、人の苦しみ、悲しみを自分の身に起きたのと同じように苦しみ、悲しむことができる。


すでに小さな頃から他人の気持ちに共感でき、同じように苦しみ、悲しみ、涙することができる人は、前世も前前世もずっと心の教えを学び、修行してきた人なのだと思う。


加えて、幼少期から、情緒を慈しむ教育を受けてきた人はこの共感性を持つに至るのだろう。


以前、「共感性羞恥」という言葉が流行ったが、それも似たようなことなのだと思う。


他人が怒られていると自分も怒られている気持ちになり、苦しかったり、


他人のスカートがめくれそうになっていると自分も顔が真っ赤になり、やめて~となったりする。


なぜ、急にこういうことを言い出したのかというと、


この前、「天才を育てた女房」を観て、世界的数学者、岡潔という方に興味を持ち、岡潔先生の「情緒の教育」という本を読んだからです。


世界レベルの数学者にもなると、集中力が半端ではないので、段々と瞑想状態になり、あちらの世界にトランス状態になるそう。


私は数学が苦手であり、特に証明問題、確率問題が不得手であるので、数学の問題を突き詰めてトランス状態になるなんて有り得ないですが、何の世界にせよ、


あるひとつのことを集中して考えていると、パッと何かが閃き、答えが出たという感覚は凡人でも感じることができるのではないかと思います。


その極限までいくと、数学に限らず、あらゆることに通じる心の教えに到達するのだと思う。


湯川秀樹の「天才の世界」はすごく面白かったと、以前、ブログにも書きましたが、凡人にも天才の世界を垣間見ることができるのでおすすめです。

 

 


湯川秀樹先生は、「天才の世界」の中で、ニュートンはプリンキピアを数学の聖書のつもりで書いたと言われましたが、同じ天才にはそのことが分かるのでしょう。

 
 
「天才を育てた女房」の中で、
 

まるでこの宇宙、
誰かが設計したみたいや思わへんか
僕はその謎を知りたい
それが夢なんや
 
 
というのがありましたが、全てがこの言葉の中に集約されていると思います。
 
 
数式がキラキラ輝く世界の描写はとっても綺麗でした。
 
 
私には数式で煌めく世界はちょっと分かりませんが、美しい景色を見たり、星を見たりしていると、やっぱり、どう考えても誰かがこの美しさを作り上げているとしか思えません。
 
 
身近にある物ひとつを取っても、誰かが作った物で、ある日、急に現れた物なんてないはずなのに、自然が作ったものだ、で片付けるのは論理的にも辻褄が合わないように思います。
 
 
じゃあ、その自然は誰が作ったのか?
 
 
地球の作用で…とか言いますが、何もない所から急に生命が誕生する奇跡みたいな現象がある日突然起きるなんて、
 
 
やっぱり誰かが、大きな計画に沿って、そのようにしているとしか思えません。
 
 
E=mc2
 
 
とか、考えても考えても分からなかった現象の数式がこんなにシンプルだなんて、なんか美しいなというのは凡人でも感じるので、
 
 
物理学や数学を突き詰めている方の頭の中で数式が輝いているのはちょっとだけ想像できます。
 
 
STAP細胞の小保方さんも、もっとシンプルなはずだ、みたいなことを言っていましたよね。
 
 
 
何を言いたいのかと言うと、
 
 
世界規模で、「心」(情緒)の教育を小さな頃からしていかないと他人の気持ちが分からない人たちが量産されて、自我が支配する世界になってしまうのでは、ということです。
 
 
もう半分以上、なってしまっているので、気付いた人から始めてほしいと思います。
 
 
まず、この世界、宇宙を創った存在がいるということ。
 
 
それを信じることがすごく大切で、それが一本びしっと心の中心に入ると、芯ができます。
 
 
その芯があると、ぶれません。
 
 
その上で、色んな本を読み、悲しみ、苦しみ、こういう時にはこういう気持ちになるとか、そういうことを学び、
 
 
出来るだけ、自然に触れ、季節の匂いを感じ、木の葉が散るのが物悲しいとか、そういう気持ちがどういうものなのかを実際に感じられるようにする。
 
 
そういった「心」(情緒)の教育が今、求められているのでは、と思いました目
 
 
 
 
 
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