こんにちは。私は元気にしています。
今日は今話題になっている事に関連するかもしれない話を書きます。
去年の夏に妹の家に父方の従姉妹から電話がかかってきました。
先祖の供養をする法事を開くから妹だけでも来なさいと。
私達は父の遺言で父の戒名は作らず、お墓もいらないとの事だったけれど、
遺された母や私達のために永代供養付きの共同墓地を購入していました。
それを快く思わない従姉妹達がおじさんがかわいそうだから
戒名をつけてもらって先祖の墓にもおじさんの名前を
入れてもらおうと思うのだけどと言ってきたそうで。
私は従姉妹達とは気も合わないし、付き合いもなかったので、
年に一回ぐらいの割合で電話連絡していた妹の家に
電話がかかってきたようです。
従姉妹の一人は熱心な某仏教系の信徒さん。
「かりんちゃん、どうしよう。一回だけって言うから行った方がいいかな?」
不安いっぱいになった妹から電話がかかってきました。
「よく聞いて。◯◯ちゃんは熱心な信徒だよ。一度だけと言いつつ行ったら入信させられて、勝手に戒名と墓碑に名入れされて大金払わされた挙句に毎年の盆暮にお布施を支払うようになるし、おじさんがかわいそうという理由で高額な仏壇を買わされるかもしれないよ。行ったら絶対にだめ。」
きっぱりと伝えるとさらに怯える妹。
「えぇ、恐い。恐すぎる。一度だけだって言うから行ってもいいかと少し考えていたよ。」
「なんて断ったらいい?」と聞かれたので、
「『姉が父の遺言を第一優先するのが遺された家族の義務だと申していますのでお気持ちだけ受け取ります。皆様によろしくお伝えください。』と言えばいいよ。私に被せていいからちゃんと断りな。でないと、子ども達の代までお布施を要求されるよ。」と答えました。
数時間後、妹から無事に断れたと連絡がありました。
信徒さんの先祖供養のために、◯◯さんの御霊のためにという気持ちを
私は否定はしません。
高いお金を支払って仏壇やお数珠等買う事で心の安寧を得ているのならWIN-WINなのだと思います。
声をかけてくれた事もおそらく布教を兼ねた善意なのだと思います。
ただ、正直な話ありがた迷惑でした。
昨今問題視されている件と似ているなと思いました。
私自身は無神論者ではありませんが特定の信仰を持たず、
神様や仏様は金銭は使わないし望まないという考えです。
信じる者は救われるという有名な言葉がありますがいろいろと考えさせられた出来事でした。
空はなんとなく秋めいてきました。
皆様、健康に留意しつつ良き日々を。