忘れてはいけないこと・知らなくてはいけないこと
2011年3・11の東日本大震災から、10年が経った。(←11日にアップしたかったけど、遅れてしまった。)
毎年のように、3月11日の前後になると、
「わたしたちは忘れない」などというフレーズをよく耳にする。
今年は10年目ということで、余計に力が入っているように感じる。
大震災や大事故、大事件を忘れないように、今後の教訓にするように。
そして、“忘れない”ということで、共感しあい、被災者や被害者を孤独から救うことができる……のかもしれない。
が、耳目に流れ込んでくるこうしたフレーズや映像に、
「何を」忘れないと訴えているのか、私はひょいとわからなくなることがある。
あまりに色々な悲惨があって、あまりに深刻な問題が未解決のままで、
正直なところ、実はいまだに呆然としてしまう。
特別な被害を受けていない私でさえそうなのだから、
実際にひどい被害に遭われた方々、
かけがえのない大切な人々、大切なものを奪われた方々はなおさらではないだろうか。
どれほど恐怖しても、頭では理解しても、
日々の生活の中で薄れていく。
そして妙なジンクス?のようなものを作り上げて、
恐怖のポイントを絞って、その他を緩めていくって感じ。
最近、10年目にして、やっと奇跡的に家族の遺体が戻ってきたというニュースを聞いた。
DNA鑑定で判明したらしい。
ご家族の方は、悲しいけれども遺骨が戻ってくるだけでも嬉しかったろう。
それにしても、10年、いまだに捜索していた人々がいたってことに驚いた。
よかったですねぇ…と思うと同時に、
10年経った遺体がどこでどう発見されたのか? と知りたく思った。
10年経って発見されたのではなく、当時に身元不明の御遺体として回収されていたものが、10年目にしてやっと順番が回ってきて解析され、判明したということなのだろうか?
被災者の方だけでなく、10年目の御遺体を判明させ遺骨を届けた側の人々のことも報道してもらいたいなぁ。
つまり、何が言いたいかというと、
出来事を何事も情緒的にまとめて済ます傾向があるとしか思えない日本の報道を、
もっと客観的事実や数字(数値)を出して、
多方面からの見方を色々報じてほしいなぁってこと。
2011年震災当時の東日本各地の放射線量と、10年後のそれとはどれほど変わったのか?とか。
今まさに海に垂れ流されようとしている(?)放射線汚染水をどうするか?とか。
東電の責任はその後どう追求されたのか?とか。
「忘れてはいけない」こと、
もっと「知っておかなくてはいけなかった」こと、
まだまだあると思われる。
まだまだ未解決なことが山積みなのに、
いまだに「余震」も収まらないし、これから別の大地震の可能性も大きいというのに、
どうして原発再稼働なんてことを推進する人がいまだに後を絶たないんだろうか……。