去年の6月13日、白加入二周年記念公演in赤羽ReNYから走り出した一年はあっという間だった。

と、書いたそばから、いやいや全然あっという間じゃなかったじゃんっていう気持ちが溢れる不思議な感覚が湧いてきました。

 

白くんが加入して3年経ちました。改めて本当におめでとう、そしてありがとう。白くん。

正確には3年前の6月4日が加入日だったので、先日2022年6月4日がガチ3周年でした。

 

わたし、白状しますね。この日PHASEでツーマンがあり、一番最初に箱につきました。

そしてふと置かれた楽屋花を目にし震えました。

すぐさまスマホを取り出しGoogle先生に打ち込むは

 

「2019年6月4日 Chanty 赤羽ReNY」

 

瞬時にGoogle先生は答えをくれた。実に無慈悲。

僕は、見事にこの記念すべき日のことを忘れていたのです。

 

わりとそういうこと覚えてる気味の人間と自負があったのですごくショッキングでした。

なんかこう、あたふたしてたとこに白くん到着。

 

ねえ、覚えてた?今日!!と、問いかけると

白くん自身数日前まで忘れていたそうで「いやー早いねーっ」てあっけらかんとしていた

その後到着した野中くんには怖くて聞けませんでした。が!きっと覚えていたに違いない!!

 

俄然気合が入り、この日のライブは非常に熱いものになった。

 

それにしても、偶然とはなってしまったけどこうして3年経過したこの日にライブが入り

あわせて同月に赤羽ReNYの公演も入るなんて、本当に白くんはChantyの神に愛されているなと思います。

 

6月4日CLUBPHASEのライブも、6月10日赤羽ReNYのライブも、しみじみ本当にいいギタリストだなって思いながらステージを過ごした。3年前はずっと上手のことを気にかけながら歌ってた。でも、悪い意味ではなく一切気にかけずに駆け抜けた。特にこの間の赤羽ReNY。これって信頼感だよね。とはいっても加入当日の時だって危なっかしいとこなんてなかった(と僕は思っている)からすごいやつだよ。

 

でも彼はもっともっとかっこいいところがいっぱいあるんです。

そんな本性を吐き出せるバンドにならないとなって改めて思う。

 

そういえば過去に何度か、節目になるライブとかの帰り道にふとテンションが高まって「今日も最高のギターだったよ」というと彼は「いやいや最高のボーカルをありがとう」と言ってくれたりしたことを思い出す。うれしいね。本当にそうなれるよう頑張らねば。

 

と、彼への気持ちは、一旦ここまで。きっと予定されているであろう9月の生誕まで取っておこうと思う。

 

そして改めて思い返す昨年の6月13日は、Chantyが4人での活動を終えた日でもある。

成人くんとのステージが事実上最後となったこの日。

 

後に脱退という結果を届けることになってしまったこと、改めて本当に申し訳なく思います。

 

蒸し返すような形になってしまうかもしれないけど、自分の感じていたこと、それほど口にせずここまできてしまったので、ここに残させてください。気分を悪くしてしまったら本当にごめんなさい。

 

メンバーそれぞれがツイッターやインスタで触れてくれた通り

成人くんは本来2021年6月13日での脱退を希望していた。

それを、一旦療養という形にできないかという提案を一番最初に口にしたのは僕でした。

 

一方的な気持ちになってしまいますが、納得できていなかったんだと思います。

ここ数年どんどんとかっこよくなっていく彼との未来が途絶えるなんて考えられませんでした。

痛みの辛さもさることながら、精神的に追い詰められていく姿を見ていて

「脱退前提」だとしても、完全にドラムから離れることで、ほんの少しでも希望が見えたなら・・

そんな気持ちで口にした「療養」の選択肢でした。

 

結果、彼を余計追い詰めることになってしまったこと、期待して待っていてくれる皆を裏切る形になってしまったことを、正直なところ今でも後悔しています。

 

もう一つ、言いたいことがあります。

 

本当は存在するはずだった脱退ライブのこと。

 

当初、脱退ライブは恵比寿リキッドルームでやれないか。

 

そんなことを話していました。4人で好きなバンドのライブを見に行ったあの箱。

あの日のことが忘れられなくて、一度は立ったことのあるステージだったけど

改めてこの4人で叶えたい一つ夢となっていました。

 

一旦そんな方向性で落着したけれども「療養」がいい形で実を結んだらいいなという一方的希望的観測と

あわせて自分が去年春先からコンディションを崩し、それが尾を引いたメンタル、フィジカルの不安定さから

スケジュールを決めかねる状態がズルズル続いてしまい、結局箱を抑えることができなくなってしまいました。

 

当初とは違う方向も模索しましたが、結果色んなことが重なり折り合わず、それならば脱退ライブは行わずに締めくくろうという形を選びました。

 

僕自身がもっとしっかりしていれば未来を突然寸断させずに済んだと今でも思っています。

 

改めて、できる中での最良の形に導けなかったこと、本当にごめんなさい。

 

去年6月13日以降、以前とは別の意味で目の前のライブに全力を注ぐ日々が続きました。

これからもそんな日々が続いていくと思います。

 

そんな中で、サポートメンバーさんにも、もちろんみんなにも支えられる日々。

目の前のことに精一杯で更に先の景色を見せることができていないんじゃないかと考えてしまうことがあります。

 

正直なところバンド運営に関して不本意な状態になっていることも多かれ少なかれ存在し

申し訳なさだったり歯痒さだったりが不甲斐なさだったりが毎日頭の中を巡ります。

 

そんな状態ならいっそ・・と何度も思ったりしました。

でも、どんどんステージで強くなっていく白くんや野中くん、力を貸してくれる、貸してくれたサポートメンバー。

ステージで僕らが全力でぶつけたものを全力で返してくれるおまえたち。

会場にいずとも見守ってくれているおまえたち。

 

そして、一緒に歩みを止めることをやめてしまったけど

幾度となくChantyの現場を手伝ったりしてくれたり、ふと遊びにきてくれたり、時折僕の日常を気にかけてくれたりする成人くん。

 

いろんなことに支えられながら僕は今歩けているように思います。

 

それでもどこか僕はこの一年、去年の6月13日に立ち止まったままいるんじゃないかと思い

こうしてブログを書かせてもらいました。

 

ありがたいことに年始あたりまでのスケジュールは殆ど決まっています。

 

後手後手になってしまっていますが、もうすぐ別の発表もできそうです。

 

こんな状態だから許してくれ、受け入れてくれ、というつもりはありません。

 

現実を噛み締めながら、それでも歩けていることのありがたさを噛み締めながら

必ずまたそれぞれおまえたちの待つ場所に向かうことができたらと思っています。

待っていてもらえたら嬉しいです。

 

本当に、感情的な文章になってしまって申し訳なかったですが

どうしても残しておきたくてひさびさにブログを書いてみました。

 

寒暖差はあるけどもう春も終わりそうですね。今日ふと聴いた春煩いはやっぱりすげー曲だった。

 

もっとすごいものを作りたい。

 

有耶無耶にしてたまるかよ過去も今も未来も。

 

さあ、6月の最後は大舞台。ありのままのChantyを叩きつけにいこうと思います。

 

長くなってごめんなさいね。それじゃあまたね。