このブログを書いた日
http://s.ameblo.jp/chiebutax/entry-11998256181.html
希望に導いてくれた ボスチニブが
効いていないということが
医療に疎い私でも気づいてしまった時。
先生の前では笑えるのに
診察室を一歩でも出たら 笑顔は無くなった。
冷静になろう。そう心で決めていた。
普通でいたつもりだったけど
おばあちゃんには見抜かれていたんだろうね。
実は、スプリセルに耐性を持った2013年
いまから 一年半前、
タシグナが効いてホッとした時に
私は以下のブログを書いていました。
当時の心境を残したくて
一年半もの間、下書き保存していました。
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スプリセルからタシグナに変えて。
検査結果は著しい数値回復をみせた。
先生が電子カルテの画面を見せてくれた。
そこには、ずらり書かれた英文が。
私の病気歴だった。
隠れてこんなことしていたんだそ♪と話す先生。
そしてこの画面を見せながら説明されたのは
タシグナもじきに耐性が起こるだろうと。
自身も
グリベックやスプリセルのように辿るだろうと予測をできていた。
『移植しよう。今すぐと言わない。元気なうちから前もって準備しよう』
五年ぶりに言われた移植の言葉。
私、何で泣かないんだろう。
この日はバンクにHLAがあうドナーさんがいるか 調べてくれるってことで
お願いして病院を出る。
先生からこんなことを言われました。
『ケーキは二個までを解禁するね。』って。
食べれなくなるから思う存分食べておけって。
もしかしたら、この日のために禁止をしていたのか、
病院を出て直ぐ
高円寺駅にあるトリアノンへ。
ちいさなときに両親が毎年誕生日ケーキを買ってくれた場所。
20年以上行かなかったけど
無性にここに来ていた。
買ったあとは真っ直ぐ帰宅。
ブログはまだ公表したくないから
タシグナが順調だと2013.11.30の検査結果を書く。
喜びのコメントが続々と。
みなさん、ありがとう。
でもごめんなさい。わたし移植することになるかも。
まだ言えない。
栄子さんに言えない。
兄にも言えない。
弱い私が出てきている。
2013/11/30 のブログ
全てからの解放
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それから今に至ります
担当医と話し合い
3月より本格的に移植準備に入りました。
私が私らしく いれるように
先生が必死で 笑わせてくれてますヾ( ´ー`)
移植にためらうことはない。
あの時から充分考えてきたし
いまの苦しみから 解放される一歩になるならば、
バンク経由なために きちんと書けませんが
ま、いまはこんな時点であることを報告します。
アメンバ記事では 一足先に 骨髄
バンクに登録したと書きましたが
改めて ご報告。
今は 慢性骨髄性白血病の移行期。
だけど 全ての分子標的薬に耐性をもった。
グリベック
タシグナ
スプリセル
ボシュリフ
耐性に関わるレースなら
輝かしい記録になります。
ボシュリフは1日も効かなかったから
私の記憶からは消えました(笑)
今は とにかく楽しく過ごすようにしています。