1995.1.17 | こんな女の日常ですが・・・

こんな女の日常ですが・・・

毎日、色々ありますがマイペースで生きていきます
だって自分の人生だもの・・・


※アメンバーの承認は髙橋大輔選手のファンの方のみにさせていただきます
 悪しからず・・・・m(_ _)m

忘れることは一生ないであろう出来事があの日起きた


あの日、連休明けの早朝
いつもの時間に、目を覚ます時間が近づいた頃

ファンヒーターのタイマーが付き、次はTVのタイマー・・
と・・・訳の分からない揺れに、叩き起こされ
一瞬の内にパニックに陥った私は
それまで出したことのない叫び声を上げながらベッドから飛び起き
部屋の扉を、突き破るが如く飛び出していき
下の階へ走って行こうとしていた
と、母が急いで上がってこようとして、私は飛びついて・・
何を言っていたのか自分でも覚えていない
後で聞くと母を呼んでいたそうだ

妹はというと、まだベッドの上で眠気眼
何が起きたか把握していなかった様子・・

父は既に職場に向けて車を走らせていた


母は『凄い揺れだった』と言いながらTVを点け様子を伺う
この辺りは震度4という報道だった
ただ、我が家の土地一帯は元々田圃だった土地で、地震の時は地盤がしかっりした所より揺れを大きく感じる


私は一瞬、部屋に閉じ込められると感じて部屋を飛び出したのだ
たぶん生まれてから、あんな大きな揺れを体験したのは初めてだと思う


なんとか落ち着いた私は一応会社へ出掛けるが、やはりJRはダイヤが乱れている
そして私自身も、前の週から少し体調を崩していたのと長時間、電車を待って体が冷えたのだろう
やっと会社に辿り着いたが、あの日は熱が上がり午前中で早退した



それまで神戸の街が、あんな惨事になっていようとは全く知らなかった


帰宅すると、母も仕事に出かけて家には誰もいなかった
自分で食事を作って食べ、薬を飲んで自室で寝巻に着かえながらTVを点けた

なんとも言葉にならない光景を見てしまった
おまけに何度も余震が起き、その度に体が硬直した
あの日から、地震の揺れを感じると条件反射のように涙が滲む


悲しく、恐ろしい出来事がTVの画面を通し流れてくる
全てのTV局が神戸の街を映していた
夜になっても安否情報などが、ずっと流されていた
そして私は何度も起きる余震に、体を強張らせていた・・・



あれから17年・・・まだ、時々思い出す
去年も震災が起きたことをきっかけに、また思い出す


きっと忘れてはいけないんだろうね

そう、忘れちゃ駄目なんだよ、きっと・・・・