大阪空襲のまさに前日に、疎開した人の話を聞いた事がある。あの場所には、古き良き日本の大阪が、かってはあり、皆、焼け出されたんだよね。

生駒あたりに疎開した人は、大阪の空が、真っ赤だったって。
大阪に出る時は、その空襲を、シュミレーションしてみる。
このビルの谷間には、かって、と。

祖父と父の新しい家は、高槻で、
山とはいえ、大阪城まで見えたと、窓からの景色を見ながら言われた。小中高大、医学部の知己も泊めたから、本当に多くの人があの家の地点を覚えているはず。あの場所から、大阪城が丸見えなほど、ずっと広範囲に焼け野原だったんだ。

私は、小中学生で、
既にやられた教育の、分断の中にいたから、
何故?という質問も、会話も、引き起こせ無かった。

でも、あれは、大阪空襲が、あったからだ。

祖父母の目には、記憶として、八幡や小倉の空が、日本全土の空が、見えていた筈だ。焼け野原も。

曇りながらも、
空襲で、けれど煙をたいて、原爆投下は、撃退できた。
広島が6日、広島は呉、軍事拠点があった。

八幡も落とされると、製鉄所を守るべく、
煙を必死にたいた、と中山恭子先生の対談で、知った。

高槻には、戦闘機の隠し格納庫が、あったと、
後から読んだ。
日本は、全土で、本土戦に、備えていた筈だ。
巨大潜水艦も、まだ、あった。反撃、しようと思えば、できた。しかしながら、反撃は、おそらく、米国一般市民の虐殺となり、人類史に禍根を残し、八紘一宇の神武天皇の決意に背くことになった。だから、できなかった。その分、反撃したなら助かった筈の戦いを負けるが故の、苦しみを、日本国民は、引き受けるはめになった。それでも、その運命を引き受けてくれと、その想いを伝えたのが、玉音だ。



様々に、祖父は、記憶を持ち、知識を持ち、予測をしていた。

大阪に戻るまで、祖母は、危険な状況をかいくぐりながら、
子供の手をひき、日本全土に空爆で、焼き出された人たちを、目撃していた筈だ。

一言二言しか、聞けなかったのは、
凄まじい統制で、教育の中に、過去の事実との繋がりが、
分断され、洗脳教育を、受けていたからだ。

憲法前文を暗唱させられた。
ウイグルと同じだ。

違和感は、中山恭子先生と青山繁晴議員の言葉で、
解明された。
異常な日本語が使われている。
外国人は、気づかないだろうが、日本語を母国語とする私たち日本人の心に、憲法前文は、うまく染み込まない。
噛みきれない違和感が、硬く残るからだ。
プラスチックを食べさせられて、いる感じ。

中学生の時には漠然としか把握できなかった。

それは、白洲次郎の、最後の最後の抵抗であり、
未来の日本人への、鎖を解く鍵だ。

GHQ共産主義日本破壊洗脳文暗唱、そんな、地域に、日本を守り抜いた信長の子孫がいたとは、不思議なことだ。


信じているから、言える言葉がある。
日本再生を願う、全ての人の思いを、信じていよう。


それが、答えだ。生きていたから、伝えられる。

憲法改正が、日本人の首を絞めないように、
自民党は、騙されないように、富岳を、戦略の解に、用いてほしい。でないと、負ける。