なぜ、ワクチンを、打ちましたか?
という質問が、成立したか。
まずは、質問せざるを得ない、止むに止まれぬ好奇心、一歩踏み込んで、聞きたい、知りたい、意欲が、そこに必要となる。
知らねばならない、それには聞かねばならない時に、コミニケーションが必要な、時、そこを乗り越えるには、勇気と、知性がいる。
その意味では、大変な、思考力と主導権を、質問者は持っていた事になる。
全体的に、質問には、質問者側の意味が、含まれそうだ。
前提として、ワクチンの是非につき、未だ、価値観や評価は分かれる、という認識がある。
無ければ、どちらかが、当たり前で、聞くには及ばない。
聞いた、側は、自分の話はしていない。
打ったか打たないか、自分の手の内を晒さないままに、
公共の場で、問い、だけしている。
聞く側に、準備、或いは何らかの覚悟があり、
問われた側は、相手が手の内を晒さず、情報を公開することのみを、求められているにも関わらず、答える側は、切り返さず、答えている。
主導権、という意味では、武装できていない。
質問は、どういう情報を持ち、何を信じているか、
の問いとなり、返しは信仰告白となり、しどろもどろとなり、信仰告白の後、の弁明、補足、となってしまっている。
相手の意図への準備が、出来ていない。
これが、本当の刀であれば、既に大量出血死。
答える側は、斬られているのに、刀が抜けていない。
質問者は、自分が何の情報を持ち、何を信仰し、
見えている全体像を、明らかにしてはいない。
聞いた後ですら、自分の判断を口にしてはいない。
かなりの上級者だ。
質問には、意味が、有るのだと、思う。
ワクチンを救う意味で、是だと思っている場合、
打たない事は、相手にとって助けることであるのに、打つ安全性を伝えていない。その場合、打ち終えている筈だ。
ワクチンを救わない意味で、是だと思っている場合、
自分は、打たないで、打つべき或いはこの相手は打っていない、という認識のみ持つことになる。
また、ワクチンを打つことを非だと思っていれば、
自分は打たないし、相手にも打たせない。
実は、この3つしかない。
打つことは、正しい。
打つことは、良くないが、相手がどうか知りたい。
打つことは良くないので、打たないべきだ。もしくは情報が足りないので判断保留。
実は、本当に価値ある情報は、
それだけの思考力主導権を持つ古市さんの、疑問、にある。
ワクチンを打ちましたか、という質問の意味は、
ワクチンを打つのを正しい捉えて打ったか、
打つことは良くないもしくは情報不足なので打たないか。
国連、WHO、体制側は、ワクチンを打つことを、是、
としてきた。質問は、自らの立場を、明確にしないまま、
相手の体制側の行動判断への是非を、晒させた。
ニューヨークでは、打たないのは、教師、パイロット、交通機関の無給ないし解雇を打ち出し、医師の解雇もあるらしい。体制側の是は、打つ。
これほどの、巨大な、事象への信条告白を、
さらっとたった一言で聞ける自信は、凄いと思うが、
それほどの質問者の力量ならば、
最初から、その体制側を揺るがしかねない信仰告白の、
一点への俯瞰を、議論展開していただける方が、
視聴者には、有益だった。
ある意味、是とするならば、質問の意図は生じず、
是とせず、しかし隠すを、是とし、
その上で、打たないは晒すを、是とした、と、
主導権の発揮からは、読みとっていいのではないか、と思った。
打つことを是となさる政治家や医師は、自ら開示されてきたので、問うだけの議論には、質問者は、打つは是、を前提とはしていないんじゃないか、と感じた。
コミニケーション学があれば、明快なことかも知れない。
両方の情報をあまねく、知る必要がある。
という質問が、成立したか。
まずは、質問せざるを得ない、止むに止まれぬ好奇心、一歩踏み込んで、聞きたい、知りたい、意欲が、そこに必要となる。
知らねばならない、それには聞かねばならない時に、コミニケーションが必要な、時、そこを乗り越えるには、勇気と、知性がいる。
その意味では、大変な、思考力と主導権を、質問者は持っていた事になる。
全体的に、質問には、質問者側の意味が、含まれそうだ。
前提として、ワクチンの是非につき、未だ、価値観や評価は分かれる、という認識がある。
無ければ、どちらかが、当たり前で、聞くには及ばない。
聞いた、側は、自分の話はしていない。
打ったか打たないか、自分の手の内を晒さないままに、
公共の場で、問い、だけしている。
聞く側に、準備、或いは何らかの覚悟があり、
問われた側は、相手が手の内を晒さず、情報を公開することのみを、求められているにも関わらず、答える側は、切り返さず、答えている。
主導権、という意味では、武装できていない。
質問は、どういう情報を持ち、何を信じているか、
の問いとなり、返しは信仰告白となり、しどろもどろとなり、信仰告白の後、の弁明、補足、となってしまっている。
相手の意図への準備が、出来ていない。
これが、本当の刀であれば、既に大量出血死。
答える側は、斬られているのに、刀が抜けていない。
質問者は、自分が何の情報を持ち、何を信仰し、
見えている全体像を、明らかにしてはいない。
聞いた後ですら、自分の判断を口にしてはいない。
かなりの上級者だ。
質問には、意味が、有るのだと、思う。
ワクチンを救う意味で、是だと思っている場合、
打たない事は、相手にとって助けることであるのに、打つ安全性を伝えていない。その場合、打ち終えている筈だ。
ワクチンを救わない意味で、是だと思っている場合、
自分は、打たないで、打つべき或いはこの相手は打っていない、という認識のみ持つことになる。
また、ワクチンを打つことを非だと思っていれば、
自分は打たないし、相手にも打たせない。
実は、この3つしかない。
打つことは、正しい。
打つことは、良くないが、相手がどうか知りたい。
打つことは良くないので、打たないべきだ。もしくは情報が足りないので判断保留。
実は、本当に価値ある情報は、
それだけの思考力主導権を持つ古市さんの、疑問、にある。
ワクチンを打ちましたか、という質問の意味は、
ワクチンを打つのを正しい捉えて打ったか、
打つことは良くないもしくは情報不足なので打たないか。
国連、WHO、体制側は、ワクチンを打つことを、是、
としてきた。質問は、自らの立場を、明確にしないまま、
相手の体制側の行動判断への是非を、晒させた。
ニューヨークでは、打たないのは、教師、パイロット、交通機関の無給ないし解雇を打ち出し、医師の解雇もあるらしい。体制側の是は、打つ。
これほどの、巨大な、事象への信条告白を、
さらっとたった一言で聞ける自信は、凄いと思うが、
それほどの質問者の力量ならば、
最初から、その体制側を揺るがしかねない信仰告白の、
一点への俯瞰を、議論展開していただける方が、
視聴者には、有益だった。
ある意味、是とするならば、質問の意図は生じず、
是とせず、しかし隠すを、是とし、
その上で、打たないは晒すを、是とした、と、
主導権の発揮からは、読みとっていいのではないか、と思った。
打つことを是となさる政治家や医師は、自ら開示されてきたので、問うだけの議論には、質問者は、打つは是、を前提とはしていないんじゃないか、と感じた。
コミニケーション学があれば、明快なことかも知れない。
両方の情報をあまねく、知る必要がある。