先日の記事を書いた後、社員から何通かメールをもらいました。
その中で「教育」の観点について、少し補足したいと思います。(偉そうですみませんが)


例えば、社員として優秀であった人材がマネジメント職に着いた途端に、まったく力を発揮出来ないことが多々あります。
それは、教育という概念を間違ってるような気がするのです。

社内の提出物に関して優等生だった人間が、自身はできても、部下にはさせられない。
同じ新入社員でも半年経つと、部署によってあきらかに実力の差が出てくる。
入社した社員が直ぐ辞める部署、辞めない部署が歴然。
トラブルが多い部署、少ない部署が歴然。


こんなケースの場合「部下の誰それには言っている」とか「報告はしています」とか言い訳が仕方が非常に多い気がします。

この場合、部下に対して、、
「○○の件、ちゃんと管理しろよ」とか「伝票ちゃんとだせよ」とかの「伝達」だけで、終わっていています。
それは「命令」でしかなく「教育」では無い。


辞書を引くと、、、、

教育するとはー
他人に対して、意図的な働きかけを行うことによって、その人間を望ましい方向へ変化させること。

命令するとはー
上位の者から下位の者に対する強制的な指図をすること。



昔はその「命令」のやり方でも良かったのでしょうが、今はそれが通用しない。
昔は、会社というある種の小さな村社会で、カリスマ的な上司や先輩の命令を聞き「考える」事で、いつの間にか状況が好転し、「ああ、上司の言ってる事は正しかったのか」と、気付き、そうやって人材は、成長してきたんだと思います。

しかし、今の時代そんな時代じゃない。

インターネットを始めとした、色んなメディアが発達し、見れなかった隣の畑を知る事が簡単になって、何が正しい成長なのか、教育なのか、と悩み、自ずと自我の成長を止めてしまっているんだと思う。

昔のように、一方向の情報伝達(=命令)では何も生まれないんですよ。
インターネットの要に、営業も企画もデザインも教育も、インタラクティヴ(双方向)(=コミュニケーション)で無いと、これからは絶対に、会社も人も成長はしないハズです。


僕が数年前から口酸っぱく言っているコミュニケーション。
それは、報告についても、教育についても、まったく同じことが言え、どちらかがそれを怠ったら、歪みしか生まれず、成長は絶対に鈍化します。


よく、悩んでいる上司等に、僕の好きな山本五十六の言葉をメールしたりしていますが、僕も最近になって、この言葉の意味がわかってきた気がします。


やってみせ、いって聞かせて、させてみて、
褒めてやらねば、人が動かじ

話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。
やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。



何も無い、あの時代にこれだけのインタラクティヴ(双方向)(=コミュニケーション)を意識したコニュにケーションをやっている山本五十六という人間は、やはり時代の先を見据えていたという事なんでしょうね。

いや、逆か。
何もなかったからこそ、コミュニケーションを取らないと、力を引き出して上げれなかった、、という事でもあるのかな。
便利になった世の中だからこそ、色々な情報が入ってくるからこそ、古風な話合いをもっと、もっと、社員同士してもらいたいと切に思います。



その為には、一人で会社で弁当なんか食ってたら、絶対にいい事ないよ!
まずは、ランチからでもいいから、コミュニケーションをしっかり取ってみたらどうだろうかねぇ??