保江先生、ふたたび | クランのブログ

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難病(慢性血栓塞栓性肺高血圧症)を抱えながら医学部目指してます

そういうこともあって、3月12日に炭粉先生に餞別を渡しにいったわけです。

 

そして、炭粉先生のご自宅でお話をしている最中に、

 

「実は今から保江先生に会いに行く。ミャンマーに渡る前の最後の挨拶。神戸での講演が夜9時に終わるからよかったら君も来ないか?」

 

と、誘われたので、僕も炭粉先生と一緒に保江先生に会いに行くことにしました爆  笑

 

僕と保江先生が会うのは実に四年ぶり(岐阜での出会い)ですが、そのときは初対面にも関わらず、僕が保江先生に大変失礼で挑戦的なふるまいをしてしまい、保江先生から炭粉先生に苦情の電話があったほどでした。

 

そのことを思い出し、少し不安がよぎりましたが、(四年も前のことだし、保江先生もきっと忘れているだろう・・・)と高を括っていました。

 

会場に着くと管理人さんが保江先生の楽屋に案内してくださり、そこで炭粉先生と二人で待機して保江先生を待っていました。

 

しばらくすると講演が終わったみたいで廊下がざわつき始め、保江先生が楽屋に戻ってきました。

 

炭粉先生が一通りの挨拶をし、僕のことを見ながら不思議そうな顔をしている保江先生に向かって、

 

「彼が吉岡先生に中継ぎをしてくれた桂川雄太くん(僕の仮名です。)。岐阜で・・・」

 

と、説明しかけたところで、保江先生は「おお!」と岐阜での僕との出会いを思い出されたようでした。

 

(やべ!覚えてた)と緊張が走りましたが、挨拶もほどほどに、僕が保江先生に聞きたかった、ある人物についてお尋ねしました。

 

その人物の名は、アナスタシア。タイガの奥深くに住む、ロシアの女世捨て人ですが、ロシア全土に大きな影響を与え、新たな法律(極東の1ヘクタール法を制定するきっかけを与えた人物です。

 

僕はかなり前に、ウラジーミル・メグレさんが書いたこの本でアナスタシアを初めて知りました。

 

人が書いたとは思えない内容で興味はありましたが、なかなか信じられない話が多く、実在する人物かどうかも疑わしかったので、深く探求することもなくそのまま記憶の片隅にとどめたままでした。

 

しかし、20年も前にアナスタシアが予言した、実現する確率が皆無に等しい法律が、2016年にロシアで制定され、そのことを知ったときは、一気に真実味が増したように感じました。

 

ですので、政府の要人に多くの人脈を持つ保江先生なら何か知っているのではないかと思い、お尋ねしたわけです。

 

すると、昔、保江先生がサンクトペテルブルクのUFO研究所に行ったときに、現地のロシア人から聞いた、アナスタシアについてのお話を聞かせていただきました。(保江先生はUFOの研究がしたくて東北大の天文学科に進んだほどのUFOマニアです)。

 

現地人からアナスタシアの話を聞いて、しばらくしてからメグレさんが本を出版したことを聞いたときには、とても驚いたとおっしゃっていました。

 

アナスタシアについての話を聞いた後、(やはりアナスタシアは実在するっぽいなぁ。いずれ時間を取ってサンクトペテルブルクに行ってもっと情報を集めてこよう)と思いました。

 

もしアナシタシアが実在しお会いする機会があれば尋ねたいことが山ほどあり、いろいろと智慧を授けていただければと願っています。


僕のでっかい夢を実現するヒントになる智慧を。


誰しも想像はしても実現したことのない夢なので、今のところどうやって実現すれば良いのかわからない状態です

 

妄想の極みみたいな夢ですが、縁が縁を呼び、何が起こるのかわからないのが人生というものです。


「アジア最貧国で無料の医療を届ける」なんて、妄想の極みみたいな話ですが、実際に実現した吉岡先生に会ってしまったので、


人間の可能性の奥深さを只今感じ入っています。


(吉岡先生も当初は頭が狂っているといわれ、周りから相手にされず、母親にすら最近まで責められていたそうです)

 

どんな目標を胸に抱くのかは僕の勝手なので、

 

自分がワクワクする目標を常に胸に抱き続けたいと思っています。

 

だからこそ、ずっと少年のように見えるのかもしれませんが・・・

(先日、何年も付き合いのある方に実年齢をいうと驚かれました)

 

 

保江先生に別れの挨拶をし楽屋を出て、炭粉先生をご自宅まで送ろうとしたら、

 

「いや、これから呑みにいくので無用・・・」

 

とおっしゃり、夜の街へと消えていかれました・・・。