ミャンマーでの活動記録 | クランのブログ

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難病(慢性血栓塞栓性肺高血圧症)を抱えながら医学部目指してます

炭粉先生のミャンマーでの活動記録。
次は柔道部隊と戦うそうです。
しかし、ミャンマー軍に日本の武道がここまで浸透してるとは・・・
初めて知りました

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(転載元→takkun's park)

昨年12月、炭粉良三の合気に驚愕した医師・吉岡秀人は、炭粉にミャンマーにて軍部に合気を教えて欲しいと懇願する。合気が愛に由来するなら、それを教える事でミャンマーの軍部を変えたいというのだ。はじめは猛反対する炭粉だったが、吉岡の真摯さに打たれ承諾。そして3月19日、ついにミャンマーの土を踏む。

 

明けて20日9時より、既に吉岡の立ち上げた法人ジャパンハートの協力の下、炭粉は軍部の空手部隊と接触。集まった20名程の屈強な若者達の中には空手衣をつけ、黒帯を締めている者もいる。炭粉の姿を見た瞬間、道場に「ゥオオオーーッス!!」という声が響いた。そして全員が炭粉に向かい不動立ちで十字礼を切る。「何だ!ミャンマーでも日本と同じか」と思った。


さて、皆を座らせた炭粉は、吉岡の意思を何とか尊重しようと話し出す。

通訳は吉岡専属の、日本語が堪能なミャンマー人だ。

「昔、日本は戦が絶えない戦国の時代が長く続いたが、やがて一人の武将が勝ち上がり全国を統べた。しかし世の中が平和になっても、何故か武将達は人殺しの道具である武道を棄てなかった。それどころか精神修行の柱として武道を位置づけ、しかしもはや殺人の必要はないから真剣を木剣に代え、修行を続ける。そんな時代が約300年続いた。するとその修行の中で、素質ある者達が「これは…何も真剣で斬り木剣で叩きのめさなくとも勝負は決まるではないか!」という事に気づく。恐らくこれが、合気の発祥だ。私は君達にその合気を教えに来た。よく見ておけ!そこの黒帯、立て」と、さっきの黒帯の中の一人を指名した。


 明らかにフルコンであり、身体は筋肉に被われ身長も高い。明らかに「出来る!」と睨んでいたからだ。どうせ失敗するなら、強いやつに当たり玉砕した方が良いとの考え方だ。 

すると彼らの中にも順列があるのかその黒帯は頭を横に振り、自分の代わりに茶帯を一人指名した。「オスッ!」と彼は立ち上がり、私に向かって構えた。少し不満だったが仕方ない。「では右でも左でも、突きでも蹴りでも、好きなように全力でかかって来い!」と命じ、右拳で顔面を突いて来るのを炭粉は下がりながら左で受けた。そして言った。

「このように、格闘技では下がって受ける。何故下がるのかというと、相手の技を見たいからだ。だが、合気だと技は見ない。先ずガードも下げて相手も見ない。さあ、もう一度来い!」

それで先を取り相手に入り込み、下段払いで投げ崩す。幸運にも、見事に決まった。皆が驚く。

「しかし、ここまでやる必要はない!もう一度来て御覧」と言われ飛び込んで来る彼の動きを先を取って止めてしまう。

「このように、動きが止まる。武将達は恐らく、この事に気づいたのだ。我々は、これを合気と呼んでいる」
「ウ…ウオオーッス!」


「つまり合気とは、戦おうとする気持ちを全て、自分から抜いてしまうところに極意がある!」

いつの間にか、皆の目付きが変わった。

皆、真剣に炭粉の言う事を理解しようとしている。そして二人一組になって立技合気上げに移ると皆必死に力づくでやろうとするのを、中に入りヒョイと上げてやり、「このように力は決して使わない!ただ軽く腕を動かすだけだ!」と解説。そして座しての合気上げを見せると、相手は驚きながら立ち上がってしまった。
「分かったかあ!」
「オオオーッス!」

ここまでで、およそ40分。

最後に、皆に向かって炭粉は吠える。
「力は入れるなと言ったが、力をつける為にガンガン鍛える事を、私は決して否定はしない!それどころか、格闘技の稽古はせいいっばい力んでやって良い。しかし10本に1本だけ、力を抜いて試してみる稽古をしてくれ!素質のある者なら、それで気づく筈」
「ウオオーーッス!!」


その後、軍部の指導部5人と会談。
「あなたはどうやって、あの不可解な技を教えようと言うのか」
「合気は、つめて稽古しても身につくものではない。だから年に2回程の指導で充分と考える」
「皆、大会で好成績を収めようと必死で稽古している。なのにあなたは彼らに『力を抜け』と言うのか」
「違う!さっきも言ったが、力は思い切り入れて稽古をすれば良い。私はそのような稽古を積んで来た者でないと、逆に合気など絶対に解る筈はないと思っている。必死に力を入れるからこそ、逆に力を抜く事が解るのだ。私は、そう信じている」
「分かった。では我々も今日の出来事を軍のトップに報告し検討する」
「私も、次に来るなら12月を予定している。今日はこのような機会を与えてくれて、感謝する」
「よし、では12月に又会おう!」
そして、握手。


このような状態でした。我ながら、上手く説明出来たと思います。合気も何故かよくかかりました。
ただ、軍部の上の連中がどう考えるかは判りません。
しかし、それならそれで良いと思っています。

そして私は今回の事を、本当にラストとして本にしようと思っています。
「永遠の合気 炭粉良三最終章 ―そして、ミャンマーへ―」
そしてそこには、21日に吉岡先生が建てた孤児院での楽しい合気の練習も、あますところなく描きたいと思っております。

以上です。
炭粉良三