研究室で一人、プログラムの勉強をし、年越しそばを食す。
お母さんや弟が生きていたら、
きっと母や弟、父、僕、そして兄夫婦と兄の子供二人と八人で、
実家で鍋でも囲みながらテレビを見て、家族団らんを満喫してたんだろうなぁ・・・と思う。
もしかすると、僕も仕事をしていて子供もいたかもしれない・・・。
お母さん、きっと顔を綻ばせながら孫の世話をしてただろうなぁ~・・・、子供大好きだったから。
母は、結婚前は障害を持った子供たちの保母さんをしていた。
大変な仕事だと思うけど、「本当に楽しかった。こんなに楽しいのに給料が貰えるなんて信じられなかった」と、
母は生前にいつも言っていた。その時の、色んな話を僕に聞かせてくれた。
母はその後、介護福祉士をしていたけど、その仕事も楽しそうにしていた。
いつも仕事の話をしてくれた。人の世話をするのが本当に好きだったんだと思う。
僕が医療系に興味を持つのも母の影響なのかもしれない。
弟が癌で亡くなったときも、ずっと病院につきっきりで介護をしてたよなぁ~。
・・・でも、その母ももうこの世にいない。
僕がCTEPHになった後、すぐに亡くなった。もう八年前の話。
大切な家族を亡くした悲しみ、そして自分自身が病気になった辛さ、
身体がしんどくても一人暮らしをしなければならず、その時の孤独感・・・・・。
そういう辛い思いをしてきたからこそ、
「僕みたいな人を一人でも減らしたい」
という思いが強い。
だからこそ、孤独にも耐えることができ、心を鬼にして踏ん張ることができている。
このまま進めば、もしかすると人生がめちゃくちゃになるかもしれない。
でも、自分の「死」を身近に感じてきたからこそ、人生に対してどこか吹っ切れてしまってるところがある。
そして、長い闘病生活の末に、自分が何に心から幸せを感じるのかも知った。
今歩んでいる道は、いばらの道だけど、その道の先に僕の幸せがある・・・と思う。
孤独で大変な道だけど、その道を歩んでいるうちに、僕と同じ思いを抱く、心優しい人たちに出会うことができたし、
その人たちに助けられて、今がある。
自分の信念を頑なに通しているせいで博打のような人生になっちゃって心休まる日はないけれど、
周りの人たちに、僕はいつも目がキラキラしていると言われる。
自分では自覚がないけれど、確かに自分の写っている写真を見ると、不思議となんだかキラキラしている。
何が楽しいんだろうっていうぐらい。
色々大変だけど、もしかしたら、もうすでに幸せのほうがちょこっとだけ勝っちゃっているのかもしれない
来年ももうちょっとだけ頑張ろう
そういや、研究室のメンバーはみんな帰省して誰もいないし、
もちろん先生もいないので、こっそり教授室に布団を引いて今夜はそこで寝てやろう。笑
このすっごく臭う敷布団をコインランドリーで今から洗いに行きますか!