2019年を振り返る | クランのブログ

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難病(慢性血栓塞栓性肺高血圧症)を抱えながら医学部目指してます

2019年は人生の転機が訪れた年になりましたニコニコ

 

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これまでの修士論文研究で良い成果が出たことで、あとは被験者数さえ増やせば、さらに良い結果が出て難なく、大学院を卒業できるだろうニヤリとタカをくくり、7月の医学部編入試験に向けて本格的に勉強を始める筋肉このとき、大阪府で伝統野菜を作っているNさんのFacebookを閲覧したとき、農作業でピンチに陥っている状況であることを知り、Nさんのことはほとんど知らないけど、助けに行く。この出会いが後々に僕の人生で重要な出会いになったことを知るのは12月になってから。

 

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研究室の雑用もこなしつつ、基本的には編入試験の勉強筋肉

 

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6月の学会に向けた準備を始める。そして、今年になってからの第一回目の被験者実験をしたところ、結果が芳しくなく、実験手順、解析方法などすべてを見直す必要に迫られるゲッソリ

さらに、研究室の雑用&後輩への指導が本格的になりだし、そのせいで試験勉強どころではなくなるチーン

 

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沖縄での学会当日。学会での僕の研究のポスター発表場所が会場の端っこに割り当てられたため、他の研究者たちが僕の研究をあまり聞きに来ない可能性が出てきた。そのため、他の研究者たちがスーツ姿の中、目立つために、急遽、麦わら帽子、海パン、ビーチサンダルに着替え、学会に参加。研究テーマ自身がわりとトレンドな内容を扱っていたこともあり、おかげさまで発表は大盛況で終わる。そのあと、医学部の先生と二人でレンタカーを借り、沖縄で遊びまくる(もちろん、研究室の先生には内緒ウシシ

 

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2019年度での第二回目の被験者実験。知恵をふり絞って実験&解析方法に工夫を入れたことで少し希望が持てそうな結果が出る。一方、医学部編入試験を受けるも二か月あまり勉強ができていなかったこともあり、ボコボコにやられる。もちろん不合格。

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不合格のせいで、大学院生活中にわりと奨学金も借りていたため来年の4月から「そこそこ給料の良い仕事」に就くことを迫られる。(医学部に合格したら、在学中は返還猶予を受けられるため、医師になったら数年で返せるだろうと、タカを括っていた)。33歳にして就業経験もない人間が就ける仕事で、給料の高い仕事なんてほとんどないことを容易に想像できたため、けっこう絶望感にひたるゲロー

インターネットで検索してみたら、ちょうど「警〇パトカー」の採用募集があったため、とりあえず就職活動の面接練習も兼ねて応募してみる。

 

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警〇の採用試験の筆記試験。公務員試験の勉強時間なんてほぼなかったため、問題の解答の選択肢は論理的に破綻がないものを推測して回答。小論文は、問題解決型のテーマだったため、課題に対して現実的な解決方法を提案して文章を書きあげる。その後、なぜか合格する。下旬に数週間程、長崎県で無農薬無肥料栽培を学びに、農家に泊まり込み農作業を体験。このとき、元・農林大臣と直接お話しする機会があり、いろんなことを学ぶ。(ついでに、農園主の紹介でガチの超能力者に会う)

 

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警〇本部で面接試験。試験当日、駅のトイレでゆっくりしすぎたため、面接を15分程遅刻。別室に案内され、いざ面接が始まるも採用担当官のやる気のなさを感じられ、「これは確実に落ちたな・・・」と思い、緊張していたが逆にリラックス口笛しかし、僕がやっていた研究の話になり、研究器材、先行研究や研究資金など何もない状態からたった一人で研究を始め、一年という短期間で学会発表ができるほどの成果を出したことを話すと、採用担当官の目の色が変わり、ガチの面接が始まる。面接終了後は出すものは全部出した感があったため、爽快感とともに帰路につく。・・・最終的に高倍率を勝ち抜き、内定が確定びっくり

 

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内定式で給料の説明があったが、初任給でサラリーマンの平均年収くらいもらえることを知り、無事卒業すれば来年4月からなんとか生活できることがわかり安堵するおねがい

 

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これまでの研究内容を研究室内で詳しく発表すると教授が興奮しだし全面的に協力をいただけることになり、実用化に向けた取り組みが加速しだすビックリマークこのとき、ジャパンハートの吉岡秀人医師に僕の研究に協力してもらうことを思いつき、吉岡先生に提案してみたところ快諾いただき、直接やりとりできるように連絡先も交換するアップアップ

一方、1月に知り合いになったNさんから、自立型で循環型の新しい農村づくりを一緒にしないか、と提案があり、それが医者になった後に最終的に僕の人生でしたかったことなので、参加させていただくことになる。

 

 

いろいろあったけど、ザーと書くと2019年度はそんな感じでしたニコ

医者を目指していたはずなのに、なぜか警〇パトカーで働くことになりました真顔

もっとも僕が就きそうにない仕事。

人生何が起きるのか本当にわかりませんねグラサン

 

あと、自立型で循環型の新しい農村づくりの話に関してですが、

税理士さんや、大学の准教授、U〇Jの元・広報部、薬膳の料理人、一流のシェフ、会社の社長さん、市役所の人・・・などなど、総勢40名の創設メンバーが集まり、新たなまちづくりを来年から始めることになりました。しかも、30代40代が中心のメンバーなのでまだまだ体力も気力も真っ盛り。これからどうなっていくのかが楽しみです爆  笑音譜

それと、僕の人生の最終目標というのを、初めてカミングアウトしますが、「暮らし方自身が心身の治療になるまちづくり」でした。病気の予防、心身の充実、多くの社会問題の解決、経済的な自立・・・など、すべてを包括するまち。健康な人や病気を患った方々も対象とするため、医師免許が必要だろうと思い、医者を目指していました。

もちろん、理想を具現化するための、細かくて段階的な達成目標や戦略も考え抜いています。

Nさんの目指す自立型で循環型の新しい農村づくりでそれをある程度形にできればいいなと今は思っています。

 

来年はまた新たな出来事が待っていそうな予感爆  笑

ありがとう、そして、さらば2019年ビックリマーク