只今いまだにタンザニアにいますよー。
何でかというと、
自分にとってアフリカのハイライトの1つである3日間かけてダルエスサラームからザンビアを結ぶタンザン鉄道のチケットがフルで1週間も待たなくてはならなかったからです!!!
これもいい機会と思い、タンザニアでアフリカンライフ過ごしてます。
もうタンザニアも1ヶ月。モロッコから入ったアフリカ大陸ももうすぐで3ヶ月。
結構なポレポレ(ゆっくりゆっくり)ですなぁ。笑
と、いうことで今日は約2週間訪れたタンザニアの離島ザンジバルです。
まずそのザンジバルとはどんなところ?ということを説明します!
ザンジバルはタンザニアの首都ダルエスサラームからほぼ東、インド洋に浮かぶ小さな島。
ダルエスサラームからはフェリーで約3時間。
中心のストーンタウンは2000年にユネスコ世界遺産にも登録され、インド洋の綺麗で美しい海があるため欧州の人々にとってのリゾート地でもある。
でもそんなザンジバルは深く悲しい歴史も併せ持っている。
もともとザンジバルは1つの独立した国だった。
詳しくはwikipediaを参照。
以下wikipedia。
1499年、ヴァスコ・ダ・ガマがザンジバルを訪れる。以後、ポルトガル人が入植する。しかし、ポルトガル人は象牙や奴隷の売買を始めたオマーン人に追い出される。さらに1832年にはオマーンのスルタンがザンジバルに遷都を行う。1861年にオマーン本土と分離した独立国であるザンジバル・スルタン国となり、1890年にイギリスの保護領になるまでスルタンの支配が続く。奴隷制度は1897年に廃止される。
1896年、当時のスルタンの甥ハリド・ビン・バルガシュが王位を簒奪、英国の退位要求を拒否する。が、駐留していた英艦隊の艦砲射撃により、わずか37分23秒で宮殿は破壊され、ハリドは独領タンガニーカ(当時)に亡命した。このイギリス・ザンジバル戦争は「史上もっとも短時間の戦争」としてギネスブックに掲載されている。
1963年、ザンジバルはイギリス連邦の一員として独立(ザンジバル王国)するが、翌1964年にスルタンの長年の支配に不満をもっていたアフリカ人がクーデター(ザンジバル革命)を起こす(ザンジバル人民共和国)。紆余曲折のあと、タンガニーカと合併し、『タンガニーカ・ザンジバル連合共和国』、その後名称を統合して『タンザニア連合共和国』となる。
このような歴史的背景のためか、タンザニアの大陸側からザンジバル島に入るためには、出入国手続きが必要となっている。
自分は当初は綺麗な海!キリスト教とイスラム教の共存!
ザンジバルに対してこれくらいの知識しかなかった。
でも訪れる場所全てに歴史があり、その歴史を知るのと知らないのでは
その場所に行ったときの感じ方が全然違うんだよね。
だから歴史を知るのって大切だなって感じる。
その場所に住む人々をリスペクトするって意味でもね。
で、そんなザンジバル!!やっぱり海は格別に綺麗だった!!
船で沖に出るとこの青さ!!
白い砂浜。
カメラを向けるとみんな撮って~の大合唱!
ストーンタウンの街並み。イスラム圏特有の迷路的路地。
ザンジバルの朝陽。
ザンジバルって決して生活が豊かとはいえない。むしろ貧しい。
不安定で乏しい水道、電気、ネット環境。
けど、なんでここに2週間居れたかというと、
綺麗な海と星空。
フレンドリーでやさしい人々。
そしてゆっくり流れる時間。
これなんだなぁ。
アフリカ大陸内では感じることの出来ないまた新しいアフリカを実感できたザンジバルだったな。
悲しい歴史を持ったザンジバルだけど、だから人々は優しく楽しく強く生きてるなって思った!
では
ciao
(最近ブログが簡単にまとめすぎてるなぁ。と、若干反省。もう少ししっかり書こう!という独り言。笑)
カフェTシャツ購入!
ストーンタウンの屋台にて。