いろいろと記事を書きかけては書ききる事が出来ず仕舞いで更新しておりませんが、
書く事を諦めたわけではないので、最後に向けてもう少し努力をしたいと思っております。
タイトルを希釈としたんですが、この言葉が今は頭から離れないです・・・・
食事という事を考え続けて辿り着いたのが、水だけが何も躊躇せず口にできると思うからなのですが、
なぜ水だけが躊躇せずに済むのかを考え続けた結果出てきたのが、希釈という言葉でした。
私は私という身体の何かを、希釈したがっているのだと思います。。。。
実は最近食べるものによって、食事の後の身体の状態が全然違う事を実感しています。
どちらかというと体調が良くなるというよりは、悪くなるものがほとんどなのです。
何がどうかというのは、人によって違う結果となるので細かく書く事はできませんが、
私にとって体調を良くすると感じれているのが、一番は水だという事だけは言えます。
水のみを摂取するという事をやって解るのは、身体は物質的な希釈を間違いなく起こすという事実と、
それと同時に精神的と言うかカルマ的な希釈も起こしている気がするという事なのかもしれません。
それと同時に頭を離れないのが、【量子もつれ】のイメージです。
自分の中で起こっているそれを、極力少なくしようとしている事を、希釈という言葉で表現している・・・?
これもなかなか説明が難しいのですが、食物となる動植物との直接的な因果の切り離し??でしょうか。。。
水だけを飲んでもそれをが断ち切れるわけでは無いですが、カルマ的な因果というそれは少なくなります。
それが何なのかといえば、自己という純粋意識に出来るだけ近付きたいという事のような気がしています。
細かく説明はしないので伝わらないとは思いますが、欲というモノの頑強さの要因の一つに、
食物から生れるカルマ的な因果というのがかかわっている気がしているのです。
取り込んだ食物という物質が持つエネルギーとは、カロリーや栄養素だけではありません。
その生物の意識が強ければ強いほどに、そこに残る思念というか欲のようなものは強くなる・・・・
そして、人はそういったものの影響を少なからず受けて、自己意識を生成している。。。。キガシマス
それと、この世界で気候変動や災害や疫病や戦争が次々に起こることも、希釈という事が地球規模で
行われているからなのかもしれません。今の世界は欲の取り合いをする人口が増えすぎています。
なんて、ふとそんな事を感じました。カンジタダケデスヨ(^-^;