ポルコが好きです、昔から・・・・何故かは解らないのですが、ずっと好きですwww
自分で在り続けるというのは、自分という存在を自然体としてそうするのか、
自分で作り出したルールに沿った行動のみを自分に許す造物体としてそうするのか、
そういった差は他人には見えなくて、自分のみが感じるものでしかないのですが・・・・
彼がそのどちらであれ、私はとっても彼が好きなのは、好きな部分の方が多いからでしょうか( ´艸`)
という感覚というのも、これもこれで不思議なもので・・・・
どちらかというと嫌いな部分が目立つ人というのもまた、私はタブン好きなのだと思います。。。。
結果的に私は全てが好きで、そしてまた私は全てが嫌いなのだと思います。
そういった好悪というものを左右しているのは、自分の中にある何かの指標なのだと思います・・・・
結果的に何かといえば、私はあらゆる存在や事象のその全てが好きだという事です・・・
そうですね、、、、私という存在が思考する概ねのタイミングに於いて、私はその全てが好きです(^_^)
それが何なのかというと、それはこれを読んだ人の想像にお任せするしかないないのですが。。。。
そんなどうでも良い話は置いておくとして。
この世界は、dystopiaなのかutopiaなのか???
結論だけ先に書くと、どっちでもありません・・・
そして逆説的に言えてしまうのが、どちらでもあるという事です、、、
もっと簡単に書けば、貴方に都合が良ければutopia、都合が悪ければdystopiaでしかないだけの事です。
その言葉の真意は、理想論と現実論のようなものでしかない気がします・・・・
理想というのは、どれだけ綺麗に聞こえたとしても、その根にあるのは欲でしかない気がします。
全ての人が平等で争いもなく!!!。。。とかなんとかって
ルールや価値観がどうとかって事では無くて、実現の方法はもっと簡単で、全ての人が欲を捨てれば実現しますよね・・・・
だけど、そんな事には決してならないのです、欲を捨てたら人ではなくなってしまうのだから。
ルールや価値観の変化は、その内容が自らの利益にならなければ、誰しもが嫌がるものです。
何故なら、それが自分にとって不利益を齎す時に、人は損をすると思うからです。
損だとか得だとかって事を考える事自体が、欲というものにその存在が動かされている証左でしかないのに、
本当に世界の為であるとか、全ての存在にとってとかが理由であれば、自分にとっての利益や不利益なんて
どうでもいい!!!!気にならない、考えもしなかった。これが答えなのですが、そんな人ほぼ居ませんよね・・・
どちらかと言えば、自分にとって都合の良い内容を、さも世の為になるとか、平等とはそうあるべきだとか、
そんな大義名分のような何かを括り付けて、その正当性を主張するのが、人の本質で欲でしかないのです。
戦争に苦しむ人が平和な国を望んだり、お金を稼ぎたい人が税金の少ない国を望んだり、なんてとても解りやすい例で、
人は自分を苦しめる世界をdystopiaと感じ、自分を楽しませる世界をutopiaだと思うだけの事です。
この概念の発端は理想論や理想郷なのだと思いますが、実質的には現実はその程度の事にしか成り得ないのです・・・・
どれだけ綺麗事を並べ立ててみても、それを想起したその存在すらも、自らの欲だけは殺せてはいないのです。。。。
戦争や経済は権力と富の奪い合いでしかないし、それ以外の日常の些事も全て小さなそれでしかありません。
規模が大きいか小さいかという事の違いはあれど、人は結局として自分と誰かの欲で鬩ぎ合う事を辞めれないのです。
とはいえ、この世界は少なくとも二度は、その欲から脱却する機会があったのですが・・・・
それは、全ての人を富や権力から脱却させるテクノロジーを考案した人が居たという意味ですが、
残念なことにその人は方法を誤ったり、その人自身がその欲を捨てれなかったという失敗でした・・・
そして今、人類は三度目のその機会を迎えているのですが、、、、
これをまた、人の欲が潰そうとしています。
それに、どれほどの人が気付いているのか?
それに対して、どれほどの人が何かを成そうとするのか??
そして、人が導き出す結論とはいかなるものになるのか???
大変興味深いのが今の世界なのだと思います。
出来る限り多くの存在にとって、健やかな世界と成る事を願います。
人は愚かで賢しいですが、その愚かさと賢しさの鬩ぎ合いに終止符が打たれる日が来ると良いですね(^_^)