今宵はいつもより早く、床に入った。


疲れていた訳ではなく、気分が良かったから。




昼間にみんなが最高の笑顔でいられたこと。


また、その笑顔の中心にいた天使のような怒った表情や仕草を、


携帯電話の動画に記録することが出来たこと。




さらには、試してみたところ、その動画をパソコンに保存して


何度も再生ができると分かったこと。




ひと昔前に比べたら大きく見やすくなった携帯の液晶画面より、

何倍もデッカイPCで好きなときに好きなだけ再生できるとは


全く知らなかったわけで。




明日は早起きしなければいけない妻と、「じゃ、あと一回だけ!」と


何度も言いながら、繰り返しみた動画の余韻に浸りながら、


心地よい夢の世界にいざなわれる筈だった。




風呂あがりの極限にまで冷やした、この銀色に輝く液体で喉元をうならせ


ながら、いつものようにネットで今日のニュースをめくっていただけなのだから。




ほろ酔い気分で満足しながらベッドで横になる私を、さきほどチェックして


いたわずか10行ほどの記事が、胸の奥深く、そのまた奥深いとこにある、


五臓でなければ六腑でもないところから這い上がってくるのだ。




科学で説明することはとても面倒なことで、いや、そもそも科学で証明する


必要も解明することも不自然であり、どんなに凝視しようとも私の目には


一切みることができない、、、この気持ちが。




もし仮に、風呂あがりに飲むあの刺激に溺れ、意識が遠のくまで


飲み続ければ、もっとDRYに、割り切って、感傷などに動かされずに、


楽しい夢を見続けることが果たして可能だったのだろうか・・・






 『何故に彼らの命は、1000体以上も失われることになるのか!?』






この言葉の続きを書いてみたい。




数ヶ月前に体験し、共感した生命の神秘に触れることができた歓喜を


きっかけに、感覚がたかぶり続けていることは自覚していたし、


不思議な感性を追い求めていたことも確か。




この私に、ほんの少しでも何らかの使命があるとするならば、書いて生きたい、



続けたい。