母はいい意味で自我が強い。媚びないし群れない。
母性で生きる というより 女性であることが大事 という人だ。
子供の頃 大きくなったら何になる?と母に聞かれ
太ったお母さんになりたい と言った。
実はそんな気なんぞサラサラなかったのだが、京塚昌子さんみたいな母親が欲しくて、その時の母と正反対のことを言ったまでの事だった。
意外なことに 母はとても喜んだ。
そして母は言った。 そういう人はきっと幸せよ と。
あの時の母は幸せではなかったのだろうか?
母は都合のいいように私を利用する。そして弟と私が仲良くするのを嫌う。ヤキモチを焼くのだ。そして泣き落としのようなことも平気だ。
そのたび私は振り回され泣いてしまう。
どれだけやっても報われない。
砂漠に水をまくような感じだ。
私の悪口をいいながら 母は自分の身の回りの親孝行娘の例を引き合いに出し私に迫ってくる。具体的にこうして欲しい、ああして欲しいという代わりに。
私は持つなら息子がいいと思っていた。娘はごめんだと。
なのに授かったのは娘が二人。
うまく行かないものだ。
娘たちに私はどんな風に写っているのだろう・・・・?
母と私の間には見えない壁がある。母は自分が私を欲する時にしか私を寄せ付けないのだ。でも私が欲するときには母は私のところには来てはくれなかった。
私は母のことが嫌いなのではない。たぶん・・・恋しいのだ。いい年をした中年女がいうのも憚られるがきっとそうなのだ。今は心から母を欲するような幼子が抱く無垢な慕情のようなものはないけれど。
私は自分の感情が厄介で持て余すことがあります。でもこうやってつたないながらも文章にすることで解放されることも多くて。おかげさまで母は現在元気でいてくれます。これからも母と接する時には複雑な思いを抱くこともあるでしょうが、それはそれで受け入れることにしています。消化できるかどうかは別ですが・・。
なんか結論の出ない話になってしまいましたが、気持ちが随分落ち着いたので今回はここでおしまいです。