暑い日が続いています。

こんなに暑いのに、夏の終わりは着実に近付いているようで、

道にはセミの死骸をよく見かけます。セミ



今年で日本に原爆が落ちて、62回めの夏。

夏休みの登校日に行われる戦争教育や

「はだしのゲン」で分かっているつもりになっていた

“世界初の核兵器による都市攻撃”の意味を

大人になるにつれ実感として理解できるようになってきた気がします。



“小倉に落ちとったら、あんたは生まれてないばい”



原爆投下の目標地点のひとつであった、

北九州市に居を構えていた祖母が、

私に言った言葉です。



“たられば”を話すのはナンセンスですが、

繋がれるはずだった命・消えてしまうはずだった命の

運命の塩梅のようなものにゾクリとする気持ち、

“ざらり”とした感覚は私の中には確かにあります。



数年前に読んだ

「夕凪の街 桜の国」(こうの史代)という漫画が

今年映画化されました。






この作品は「夕凪の街」「桜の国(一)~(二)」の3部構成で、

「夕凪の街」では昭和30年、原爆投下から10年後の

ヒロシマを舞台として、被爆し生き延びた女性・皆実を主人公に、

「桜の国(一)~(二)」では1987年・2004年を舞台として

皆実の姪・七波を主人公に物語は展開します。
戦争とは何だったのか。

原爆とは何だったのか。

平和の上に生かされてきた現代人の心にも

リアルに響く戦後世代が描く戦争のお話



この漫画に「はだしのゲン」のような凄惨な表現はほとんどなく、

淡々とした日常風景の延長線上に起きた“戦争の姿”を

ノスタルジックな雰囲気が漂う

ふうわりとした絵柄で描いていきます。



誰もあの事を言わない…

いまだにわけがわからないのだ…

わかっているのは

「死ねばいい」

と誰かに思われたということ



私たちはいまだに、あの戦争が何だったのか

理解できていないのかもしれません。

“戦争反対” “謝罪しろ”

論理的な思考を吹っ飛ばして、そう叫ぶしかないほどに。




原爆病に侵された皆実の、

病床での最後の独白。



「嬉しい?

 十年経ったけど
 原爆を落とした人はわたしを見て

 『やった! またひとり殺せた』
 とちゃんと思うてくれとる?」


戦争から生き残った人間たちが、心に抱える

この“ざらり”とした感覚の正体が

この漫画の中にはあります。

どこか遠くの国の話ではない戦争のお話。

たったの62年前、私たちの国も戦場でした。



★★今日の1冊★★

本日の1冊:「大江戸観光」(杉浦日向子)

古書のまち上野で購入しました。