あなたは、自分のことを好き嫌いが激しい人間だと思いますか?
私は、どちらかといえば、好き嫌いがハッキリしてると思われやすいタイプですが、
その割に、実は心の底から嫌いな人というのはほぼ0に近いです。
むしろ、その人のことをなんとかしたいっ!
という正義感のようなものから、
必要に応じて無意識で無愛想を選んでいるときの態度が見る人によって、
そのように感じさせてしまっているのかもしれません。
世の中には、国や宗教、地域や文化、時代や個人的な価値観などから、
いろんな正義が存在しています。
では、僕の正義感はどこから来ているかと言えば、
それは無意識からです。
そんなもの、単なる自分勝手じゃん、
と言われたとしても、
それは異なるっ、という違和感や不自然さを感じる線があるのです。
その線に従えば、仮にもし相手がどのような心の持ち主でだったとしても、
心を平安に導くバランス力が生まれ、最終的に良くなる結果が訪れます。
たとえ、そこまでに辿り着く迄にある程度時間がかかったり、
誤解が生じたとしても、何も恐れることはありません。
なぜなら、そこに何の目的も無いからです。
無意識の正義は、自分の目的を果たすためのものとしてでは無く、
宇宙の正義だと捉えると、何かの為では無いことに気づけます。
これを「無為」と言っていいでしょう。
今から2500年前の中国に生きた老師は『道徳経』の中で、
「無為」について、このように説いています。
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(メルマガ文中の「老師」は「老子」の誤りです。お詫びとともに訂正いたします)
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