踊るきつねの人生ギャンブル劇場~THE勤労への道



踊るきつねの人生ギャンブル劇場~THE勤労への道

師走なのよ!!

クリスマスクリスマスツリーなのよ~~~~!!!



…というわけでいかがお過ごしでしょうか?


窓ガラスにスプレーでヒイラギとベルとくまのサンタの絵を描いて、
(ホントはイルミネーションもやりたいのだがダンナが非協力的(-_-;)
家の前の庭木にさえオーナメントをつける。
家族でツリーを飾り付けする…

絵に描いたようなクリスマスが、だいすき。


ゴメンね、いつものキャラと違うけど実はめっさコドモや…!!(なんか文句ある…?)




思い返せば幼少期。
うちの家では毎年必ず家族でクリスマスパーティをした。

けして裕福な家ではなかったが、
その日は大きなホールケーキにキャンドルを灯して、
安物の(だけど大きな)ツリーに家族揃って飾り付けをした。
一番てっぺんの星をつけるのはお父さんの仕事だった。

小さな私は、大きな星を付けてくれるお父さんをわくわくしながら見上げていた。
お父さんは大切にしていたステレオ(当時はスゴク高価だった

ダイヤモンドの針が付いたステレオで普段は触らせてももらえなかった)で

クリスマスソングのレコードをならしてくれた。
私たち兄妹はでたらめの英語でクリスマスソングを歌いながら

脱脂綿を小さな指でふわふわに広げて、雪に見立ててそっとツリーにのせた。


そして家族揃って出し物をした。
へんでしょ。(笑

ホントに小さい頃だけど、うちの父親がなぜか毎年必ずやらせたの。
おにいちゃんと一緒にさんかく帽子をかぶってクリスマスソングを歌ったり、
扮装してピンクレディーを踊ったりね。(じ.じ..時代がばれるがな!
もちろん母や父もちゃんと演目を出した。
当時社交ダンスを趣味としていた父母はふたりでワルツを踊った。

私と兄もマネをして、けらけらと笑いながらくるくるとワルツを踊った。
その当時ではなかなか持っている人の少なかった8ミリカメラで
お父さんは嬉しそうに私たちの歌い、踊る姿を撮っていた。
クリスマスの朝、目覚めると、ツリーの木の下にプレゼントが置いてあった。
プレゼントの大きなくまのぬいぐるみが嬉しくて、

何年も抱いて寝ていたのを憶えている。



今もずっと忘れない、あたたかなクリスマスの思い出。



うちのダンナの家は、お父さんが少しお酒のみで気性が荒かったらしく、
小さい頃に家族揃ってイベントをした思い出はない、と言う。
家族で何かをしようとすると、お父さんがいつの間にかお酒を飲んでしまって

いつの間にかイベントはなかったことになってしまう。

夏のお祭りも、冬のクリスマスも、お正月も。
酔ったお父さんに大声で怒られたり、くだを巻かれたりするのがイヤで、
ダンナとダンナのおねぇちゃんは 暗い夜道を近所の河原に行って
手をつないでずっと他のおうちの窓の明かりを見ていた、と言う。
ドラマみたいな話だが、ホントの話らしい。
でもお父さんはお酒を飲まないときはすごく優しくて
おもちゃはいつも最新のものをなんでも買ってくれたと言う。
ダンナは小さい頃からツリーの飾り付けなんてしたこともなかったし、
サンタがやって来るかもしれないと

ドキドキしてなかなか眠れなかった夜もなかったらしい。


今オトナになってこんな私たち夫婦が家族でツリーを飾る。



毎年こうやってツリーを飾る事が出来る、

当たりまえのようで実は特別な幸せをかみしめながら。



ケンカもするし、憎まれ口も聞くけど

きっと私たちが出会ったのは偶然なんかじゃなくて必然だと思う。

暖かな思い出を持たない人に 私が思い出をあげられるように。



ねぇ 夫婦も親子も友達も

そして遠い空の下で 同じ空を見上げるあなたとも



別々の人生がそっと交差する瞬間って奇跡だと思う。

出会えて、本当によかった…

本当に嬉しいな… 

聞こえるかな? あ り が と う



今年もこうやって1年が終わる。



今年も1年、いろいろあった。

この年になるとココロやカラダのキズのひとつやふたつw

だけど、なんか光が満ちるツリーを眺めてたら
綺麗なので幸せな気分になる。

まぁ、いいか。だって、クリスマスだもんね。

今日は忘れて幸せに、暖かくすごそうね。





眠りについたあなたの睫毛に 優しい夢が降りますように。