前回は→その①

 

人流のイメージ作りの為にまずは当時の地形をご覧頂きたいと思います。この様に地続きであった事は今ではどなたも知っている事かと思いますが、地続きであれば全て一緒の大陸という感覚ですよね。

画像:ナウマンゾウハンター

 

 

引用先:読売オンライン→こちら2017/12/15 05:20

 日本人のルーツの一つ「縄文人」は、きわめて古い時代に他のアジア人集団から分かれ、独自に進化した特異な集団だったことが、国立遺伝学研究所(静岡県三島市)の斎藤 成也

なるや 教授らのグループによる縄文人の核DNA解析の結果、わかった。現代日本人(東京周辺)は、遺伝情報の約12%を縄文人から受け継いでいることも明らかになった。縄文人とは何者なのか。日本人の成り立ちをめぐる研究の現状はどうなっているのか。『核DNA解析でたどる日本人の源流』(河出書房新社)を出版した斎藤教授に聞いた。

~以上~

 

 これってどんな事かと言いますと。まず大陸で3万年前~4万年前に大陸の内陸で南方と北方に分れました。つまり二種類の人種に分化したという事が分かっているのです。

①南方アジア人(古モンゴロイド)縄文人

【特徴】

●顔が幅広で四角い

●顎がしっかりしている

●顔の堀が深い

●全体的に頑丈で筋肉も良く発達している

②北方アジア人(新モンゴロイド)

【特徴】

●胴長で手足が短い

●眉毛や唇が薄い

~以上~

 

 縄文時代に日本に居たのはこの古いモンゴロイド人であるって事です。これは歴史の教科書でも言われてきたことで、皆様は誰でも顔の濃い縄文人と、薄顔の弥生人の比較イラストが定番ですので見た事が有ると思います。これらの遺伝子解析が意味する事は、それがより一層科学的に間違いないと裏付けられら事に有ると思います。

つまり縄文時代に広く住んでいた縄文人というのは同じモンゴロイドでも一旦別遺伝子グループとして発達したので弥生人と別々にそれぞれ別物に発展したという事です。

 

当時日本に住んでたのは【古モンゴロイド】

 

そして弥生時代に移り変わってくるのですが、その時代になってから、新モンゴロイドである弥生人が多く移住して来たという事です。それは日本書紀にも書いてある百済の王様が日本に来たという記述のままです。それなのになぜかネットや、スピ本などでは古来から日本に居たと言いたいようですが、そんな利権で発言する学者ばかりなので日本の歴史認識は発展したなったのでしょう。

 

ここから先は一気に縄文人が消えたという訳でもなさそうで。弥生時代が始まってからのや弥生人の動きは

①大陸から朝鮮半島から渡来した「大陸系弥生人」

②縄文人が新たな文化を受け入れた縄文系弥生人

※明治の文明開化をイメージすると分かりやすいのですが、人種遺伝子は原種のままで文化だけを踏襲する感じ。着物を着ていたのを洋装にチェンジするみたいな感覚でしょう。

③縄文人と弥生人のハーフが存在し始めた。

 

つまりこの時代に第一波で渡ってきた縄文人の伝説と言えばナガスクネですが、それを三つ切りにして殺したりねぶた祭りに見られるように、東征といい原住民を侵略し、弥生文化が栄えて行ったという所でしょう。なので古代の日本のピラミッドの話を外に出さないように買い占めたりしたという現実が有るのでしょう。