紅麹が可視化するもの | ブロッギン・エッセイ~自由への散策~

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アウシュヴィッツが陸の上のジェノサイド,ヒロシマ・ナガサキが空からのジェノサイドだったとすれば,水俣病は海からのジェノサイドである。(栗原彬編『証言 水俣病』)

 前回記事では,賞味期限切れの食品を買うしかなくなったり食料の無料配布に頼らざるを得なくなったりした人々を「アベノミクス=黒田バズーカの犠牲者」と書いたが,私たちはこれからも長きにわたってアベノミクスの決して小さくない代償を払わされ続けていく。小林製薬の紅麹による健康被害の件もその一つだ。この紅麹問題の発端がアベノミクスの成長戦略(=規制緩和)にあることは誰もが知っている。すなわち安倍政権下で健康食品の機能性表示を解禁したことが今回の問題につながった。一方で,この機能性表示食品の解禁によって製薬会社や健康食品関連企業は莫大な利益を得た。ここにアベノミクスの本質がよく表れている。

 

 安倍は成長戦略を語る際,日本を「世界で一番企業が活躍しやすい国」にすると豪語していた。つまりこれは,聖域なき規制改革によって企業活動の妨げになる障壁を片っ端から取っ払っていくという方針の表明である。要するに,資本の利潤を最大化するために国はサポートを惜しみませんと言っているわけで,国家が「資本家の犬」に成り下がった事態を示している,と言って差し支えないだろう。言い換えれば「強欲資本主義」の容認である。このように資本の論理に付き随った成長戦略であるから,国内の労働者や市民の需要を底上げして経済成長につなげていくという発想がない。労働者に対してはトリクルダウンという詭弁を弄して資本の論理に包摂しようとした。

 

 企業に儲けさせるためなら,異次元の金融緩和でも,大規模な財政出動でも,聖域なき規制撤廃でも,言論弾圧でも,軍備増強でも,何でもやる。こういうアベノミクスの思想は,もはや時代遅れの成長信仰であり,高度成長が私たちの生活や健康・生命に何をもたらしたのかについて全く検証も反省もしていないことを物語っている。

 

 国は,経済成長の推進者であると同時に,環境汚染や公害から人々を守るための規制権者でもあるはずである。アベノミクスには後者の観点が完全に欠落しているのである。後者を優先しなければ,国民から信頼を失い,長期的に見て経済損失が大きくなることは,公害や原発事故の歴史が示している。

 

 公式確認から今年で68年になる水俣病は,現在も認定をめぐって訴訟が続いている。そういう水俣病をはじめとする公害の歴史から何も学んでいないから,人々の健康や命を軽視した成長至上主義的な規制緩和政策を推進できるわけである。その意味でアベノミクスの罪は途轍もなく重い。

 

 ジャーナリストの政野淳子さんは,公害の歴史についてこう述べている。

 

規制権限を持つ国が,加害と被害の関係を明らかにせず,時に結論の先延ばしにより企業活動と経済成長を守った歴史でもある。

(政野淳子『四大公害病』中公新書p.253)

 

 21世紀に入っても,アベノミクスなる経済政策は,このような歴史を教訓化することなく,同じようなことを繰り返した。すなわち企業活動と経済成長を優先して,国民の生活や生命を守るための規制・ルールを次々と撤廃した。その結果が紅麹問題であり,これからも健康被害や環境破壊,過労死,失業,非正規労働,増税,格差拡大,貧困などさまざまな形で私たちの身に災厄が降りかかってくるだろう。いわば私たち庶民は規制緩和実験のモルモットにされてきたのである。アベノミクスの人体実験はまだ終わっていない…