あの日も寒かった | 汽笛を聞きながら

あの日も寒かった

東日本大震災から4年になりました。

奇しくも、あの日と同じような寒さ、そしてちらつく雪

皆さんは黙祷されましたか?

私は、職場で皆さんと。

黙祷した時、少し震災の時のことを同僚と記憶の確認をしたこと。「あぁ、そういえば、こうだったな」と言えるようになったのは時の経過の業でしょうか。

今年のテレビ報道は原発に重きが置かれたように感じました。

我が家では、嫁さんが一年間の研修を終えてやっと帰ってきました。

りょうちゃんはママにベッタリの毎日。

2歳半。4年前はこうちゃんが2歳半でまったく同じだったことを考えると、りょうちゃんを見てると4年前のこうちゃんってこんなだったっけ?と。思わずその成長にビックリしています。

今日は、訪問してきた実家の母に得意気にランドセルを見せていました。

我が家は再建して2年3ヶ月近く。

私たちは少しずつ地域にも馴染んできました。私以上に気仙沼から来て高田のことを知らない義理の両親が、積極的に地域に参加しようという気になってきたのは大きな前進だと思います。

近くに、公営住宅が完成しましたが、応募個数のまだ半分近くしか入っていないようです。被災者の再建意向が変わって空きが出てるのでしょうか。

防災集団移転は終了して住宅が立ち並ぶところも出て来ていますが、それは比較的小さい事業箇所。大規模な事業箇所ではまだまだです。例のベルトコンベアで土を運んでいる地域では当初の計画の半分しか人が戻らないのではないか?と言われており、皆さん内陸や別の地域、避難先で再建する人が増えているようです。

ある大学の調査では、浸水区域を避け、インフラの不便な高台に転々と散らばって再建をする傾向があり、ドーナツ化現象のようになっていると。みんな、かさ上げや切り崩しがいつになるかいつになるかわからないことから、これ以上待てずに、民間の不動産会社やハウスメーカーが震災需要を見込んでバンバン開発した山手や郊外の丘陵地に飛び付いた結果であり、人口の低密度化が進んでいます。研究者たちは、将来的に行政コストの増大に繋がる恐れがあると指摘しています。

こうちゃんの入る小学校は今度の入学生が7人で、保育園からの子がそのまま上がります。今では他の避難先からスクールバスで通う子は上級生の一部だけになってしまったようで、下級生は皆無。避難先での定着が進んでいます。

昨日、安倍総理が記者会見を開きました。脇で手話通訳の人の手振りを見て、りょうちゃんは「ゲラゲラポー」と言って真似していたことに大爆笑しました。

会見で、安倍さんは、随分詳しく「鉄道」のことにも触れていました。「山田線の工事着手」「石巻線・仙石線の全線復旧」「常磐線を復旧させると言ったこと」。でも大船渡線や気仙沼線のことは何一つ言及しませんでした。

きっと、鉄道以外の他の事業の成果でも、総理はその殆どを都合のいいデータばかり並べたんだろうな、と思わざるを得ませんでした。

私は埼玉の叔父さん達を荒れ果てた陸前高田駅で案内したとき、鉄路は絶対に諦めちゃダメだと思っていました。

しかし、あれから一年以上たってもなんの動きがありません。

ここに来て、被災地自治体の首長たちからも弱気や諦めの声が出始めています。

私は昭和の鉄道路線が災害を機に次々に廃線に追い込まれることはなんとしても食い止めねばならないと思って今日までいろいろブログで書いてきました。

ここで大切なのは、鉄道が生き残れる新たな枠組みを作ること。災害をこじつけに体のよいバスに、それも恥ずかしくてBRTなどとは呼べないようなものに収めてはいけない!。きっと亡くなった人は浮かばれないと思います。

東日本大震災があったから新たな枠組みや制度が出来て、それができたから、次に何処かで起きた災害時に役に立ったというふうな流れができれば、東日本の犠牲者の御霊も報われると思うのです。

このまま、大船渡線も気仙沼線も廃線になったら、災害=廃止の布石となり、全国的なローカル線が災害をいいことに都合のいい廃止が推し進められる可能性大です。

大震災が悪の布石になったなんて言われたら、私たちもいい気分じゃありませんし、亡くなった方々も浮かばれません。

しかし…

鉄路復旧を諦めないといい続けてきた私ですが、遅々として進まない論議、BRT慣れした住民感情、首長たちからの諦めの声。どれ1つとっても鉄路復旧の流れにさからうものばかりです。

「あくまでも鉄路で」といい続けてきた自治体の首長でさえブレ始めているのです。

今年は決断の年だと思います。

これ以上長引かせるのは被災地の復興にとって良いことではない。

悔しいけど、現実を受け入れざるを得ない時期に来てると思われます。

無論、国もJRもそうなる方向に持って行きたかったのでしょう。

総理にはっきりいってもらいたかったです。

「国は絶対にJRにはカネを出さない」
「例え三セクとなっても支援しない」
「ゆえに鉄路はあきらめなさい」と

こういうふうなことをスパッと言ってくれたほうがよっぽどいいです。

曖昧にするから、「望みがあるうちは!!」となるわけです

なんだか、最後は鉄道の話で締めちゃってますが、4年経っても着実感が何ら感じられない復旧はもうダメだと思います。

だって考えて見てください。「あなた方の再建する高台を整備しますから待ってて下さい」と言ったのに何年たっても一向に工事が始まらない高台移転事業があったとしたら?…「じゃ、いいよ。自力で高台の土地探すから」ってなるでしょ。

そういうことに近い感覚だと思います。


今後、ふるさとは住宅再建が進むでしょう。でも、被災前大事にしてきたコミュニティが崩壊しかけています。コミュニティの強さだけが取り柄だったふるさと。今後何年もかけて作ることが課題だと思います。再建しても、そこからがまたスタートであることをつくづく感じてる日々です