「好きになっちゃいけない、そんな相手なんていないよ」
私の肩をぽんと叩きながら彼女は言った。手首の静脈から優しく香るジャドール。なぐさめの声が響く。
「好きになるのは自由なんだから」
そうだねって言えたらどんなに楽か。彼女の瞳を見られない。押し黙る私を、それでもまだ見放さないでくれるんだね。
何の話からこうなったんだろう。ゼミ上がり、夕方の教室。2人きり。西日が眩しかったのは覚えてる。逆光の彼女は女神みたいで油断したんだ。「恋愛、上手くいってるの?」なんて不意討ちに。
一瞬の曇りも見逃さない人。
友達の苦しさを自分のように思う人。
とても、とても清廉な人。
だから彼女と居ると苦しくなる。私の穢れに染めたくないの。いつまでも朗らかで居て欲しいの。
それは贅沢な願いかな?
延々と返事を待ってくれそうな彼女に根負けして聞いた。
「ジャドールの意味って知ってる?」
「あ、この香水? よく分かったね」
「うん、いつもそれだよね。似合ってる」
優しいだけじゃない。ラストノートが微かに官能的で、まるで彼女そのものだ。
話を逸らしたと思ったかな? 誉められて嬉しかったのかな? 手首を顔に近づけてその香りを確認している。
その隙に言った。
「大好き」
怪訝な表情で振り向いた彼女を、笑顔で迎える。なるべく穏やかな、なんでもない笑顔で。
「ジャドールって『大好き』って意味なんだって」
これが私の精一杯。気づいてるのか、気づいていないのか。そんなのもう関係ない。ただ少しでも私の言葉が記憶に残るのなら。
「素敵だね」と一言、彼女はそう言った。