【ゐまり】(伊万里)は~カミ【ΙΑΩ=ヤオ】(レビ記断片文字)降臨地名が語元だった!! | 「伊万里」(佐賀県)から発信する日本の国語【ヤマト言葉】の始りに付いて!!

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★「日本建国創建史」に於ける【カシマ】(カバラ数価189/佐賀県鹿島の語元)は、Godヤハウェ(数価26)勧請に先立つ社殿(H・IKL数価65が家の語元)を守護する天使(サンダルホン数価280)を示唆する呼称であった!!

イマリンピック(佐賀県伊万里市)の始まりだ!  

 

日本全国の度肝を抜くなら「いまりで、決まり」(AD2021年=令和3年~を掲げる佐賀県伊万里市は、国内最大級の地方創生イノベータープラットフォーム「INSPIRE」(インスパイア=発奮させる等の意)と連携し、伊万里創生の志士たちが集う事業成長支援プログラム「伊万里アクセラレータ」を開催(AD2021年=令和3年/ https://www.imari-accelerator.com )!!

 

 

 …下画像~【ハマボウの花】(佐賀県の絶滅危惧種指定/塩生植物)は、「川南造船所の事務所跡地」東側に位置する海岸で撮った写真です(2015年=平成27年・夏)~

                 

 

ゐまり】(数価358佐賀県伊万里市の語元)とは~カミ【ΙΑΩ=ヤオ】(God・ιαω/死海文書【レビ記・断片文字】/八尾市の語元文字)降臨地名が語元だった。因みに、カミ【ΙΑΩ】(八尾)とは、天地創造主【ALHM】(エロヒム)の別称であり、その最初2文字【AL】(エル/数価31)がアラー(イスラム教のカミを意味するイラーフilāhに定冠詞alが付いた「アル・イラーフ」が短縮されたもの)の語元である。

 

★…【伊勢】(妹背の短縮語)の語元は、ゲマトリア数価~300+1+7+10=数価318妹背はヲヨロ=318と同義語)が語元です。その数価の出自は「アブラハムに選ばれた318人」(創世記14・14~15)。つまり、その318人の活躍に因って、アブラハムは、サレムの永遠の祭祀で王でもあるメルキゼデクから、エルサレムの祭祀権が譲られました。従って、我が国の最高位カミ(天照大御カミ)を祀る社殿創建地にあっては【ゐせ=伊勢】(ゐもおせの短縮語/数価318)と命名されました。

 

~伊万里湾の塩浜海岸(佐賀県伊万里市山代町立岩字浦ノ崎)に咲いた~『ハマボウの花の下で』より~

…カミ(God)。つまり【上=ΙΑΩ】上=ιαω)の啓示を受け、【千木】の語元と【ヤマト=日本】建国思想ルーツを解明しました。因みに、神社の【千木】と【鳥居】の語元、及び、その形状の元形ルーツの解明に至った経緯は、佐賀県伊万里市立山代西小学校の下校時、浦ノ崎郷社【佐代姫神社】の裏手に回り、神社のヤシロ(社)の屋根に設置されていた奇妙な物体(Χ形状)を観察した事が功を奏し私が40歳(昭和62年)の時、先ず【千木】の語元(ギリシア文字χ)を解明し、その語元を糸口として【鳥居】(AとΤの合字形状/モノグラム)の語元。そして【A・Τ】2文字のMonogram(合字=始めと終り形状ルーツの解明に行き着きました。そしてその当時に募集されていた~★㊟ジェックまなびすと大賞「第2回・体験記募集」~に記事を投稿しました~

★㊟~【ジェックまなびすと大賞】(昭和63年=1988~1989年1月31日・応募〆切り)に…『ハマボウの花の下で』…と題し記事を投稿しました(投稿記事の抜粋文入りブログ…URL ドラッグ&クリック検索) ⇒ http://erusaremu4654.jugem.jp/?eid=2 ~

『ハマボウの花の下で』からの抜粋文)~【日本語の始まり】。つまり、日本の国語【ヤマト言葉】の起元解明に至った経緯は、その昔、我が家族の夜逃げ(昭和25年=1950年・冬/2歳6ケ月に始まりました。それは昭和25年1月15日(日曜)深夜…私の兄弟五人家族は伊万里湾に隣接していた楠久炭鉱社宅(海岸際に位置す)から夜逃げして、浦ノ崎の塩浜海岸際(佐賀県伊万里市山城町立岩字浦ノ崎)で【焼塩】と【屋根瓦】製造を営む叔父(小島源三郎)の家での生活(家財道具一式は深夜に叔父の発動機船に積み込んで運ぶ)が始まりました。その最初の夏の或る朝、家の海岸際の木の葉の間に美しい物体昨日は無かったを発見した私(3歳)はビックリし、直ぐ母の処に走り寄って訊くと~「【キ】()の花」~と教えてくれた。然し、何故【キ】なのかと訊けば~面倒くさいそうに~「大昔の人に訊け」~等と言った後、母は何も答えてくれませんでした。そんな母との会話のやり取りの中で~《何故?・誰が?・何の意味で【キ → 木】と名付けられたのか》~的、言葉の不思議さに興味を覚えました。

…塩浜海岸の叔父の家に咲いていた黄色で美しい花の正式名称を初めて知ったのは、それから37年後(昭和62年/40歳)の事。それは1年程前に【千木】と【鳥居】の語元を解明していた事を以て、【第2回・ジェックまなびすと大賞】(昭和63年=1988年・投稿募集)に投稿する為には黄色の花の正式名称を知る必要があったからでした。それで最寄りの図書館で『カラー植物図鑑』の中塩生植物から探し出し~ハマボウの花の下で』~と題し応募(落選)しました。

…倭語【キ】が【木】と呼ばれる由縁は【日本建国創建史】文書、つまり『ホツマツタヱ』(逸書・『日本紀』の底本に当たる/戦後の1966年=昭和41年8月に松本善之助氏が神田の古書店で発見されたと題する日本最古の古文献に明記されていました。その古文献に因ると~(五・七調「トコヨ(常世)カミ、キ(木=天の真逆木)の実ヒガシ(に、植えて生む、ハコ国のカミ」(ホ2=ホツマツタヱ・第2章~と在り、東に植えた【木』(天の真逆木=カレンダーを意味する鈴木の事の語意日の頭…ヒガシラ故に短縮語【キ】1文字で東と木の呼称とするを以て、倭語【キ=木】1文字単語ヒ・フ・ミ・ヨ・ヰ~等も1文字単語ですとして設定されました。

…【ヤマト国家・創建】第一歩は、考古学的に言えば九州北部に於ける【甕棺墓・集中時代】(第Ⅲ期~桜馬場式/三津永田式・集中所有型来…王莽=後漢前半代の境頃九州産青銅器を所有/佐賀県伊万里市大坪町【午戻遺跡】から甕棺墓14基出土に当たります。そのヤマト国家創建に向けた基礎的構築過程にあっては伊万里の【腰岳】(万里富士)から産出する良質の黒曜石が重要視されました。

 

【日ノ本・崇拝主義】思想(紀元前586年頃・エゼキエル書43・1~2/イスラエルのカミの栄光は東の方向から来たを追随し、結成されたのが【クムラン・秘儀教義宗団】紀元前125年頃結成/1947年に発見された死海文書に記述在り~ダマスコ文書)でした。そのダマスコ(シリア)付近から「極東方面へ移動した先発隊」紀元前125年頃/ペルガモンのアリストニコスに因る【太陽の国思想】追随者達も極東行に同行?…日ノ本の語元に関連するが上陸した処は、徐福が上陸したとされる有明海北部現在言う杵島~白石町付近に当たる/その地を居住地としていた豊玉姫の父ハデツミ王はAD1世紀頃、筑紫32県を治めた王であり~後年の吉野ヶ里遺跡に関連するであった。そしてその後年紀元前31年、エゼキエルの預言に言う【大地震】(38・19~20/エピファニー)がユダヤ地域に発生し、その大地震をエピファニー」(カミの顕現と捉えた【クムラン・秘儀教義宗団】トップグループの人達も後発隊として極東方面へ移動を開始しましたその後発隊達の移動ルートは『魏略』の倭人傳・三国志に記載在り/前漢の哀帝元寿元年=紀元前2年~天笁國皆并屬大月氏。臨兒國,浮屠經云其國王生浮屠。浮屠,太子也。父曰屑頭邪,母云莫邪

 

…つまり、クムラン秘儀教義宗団トップグループを指導していた大祭祀系(サドク系?)の人達(後発隊)が極東の島での最初の居住地とした処を以て㊟★ゐまり=伊万里】(数価358…【伊勢神宮】建立地ヰセの名称と同義語/カバラ数価358はエルサレム神殿建設に関連する)と言う。つまり、ゐまり】(佐賀県伊万里市の語元)とは、ヘブル語【ΜΣΙΗCh=数価358】(メシア)、又【ΙΒΑΣΙΛH=数価358】(イエバシロー/創世記49・9~10)文言と同義語であり、その意味する処は、God(カミ=上)ALHM(エロヒム)を極東の地へ勧請(預言/エゼキエル書43・1~2…イスラエルのカミの栄光は、東の方向から来た)するを以て【日の本思想・ヤマト国家】を創建する事であった。従って、大祭司達が極東の島に於ける最初の居住地(良質の黒曜石の産出地=伊万里の腰岳)に対し【ゐ・ま・り】(T・E・R=カミの御魂が最初に降臨したとする地名呼称の意と言い、それは伊勢】(ゐもをせ」の短縮語としてゐせ=伊勢と言う…数価318)の語元設定、及び、その地名地域に伊勢神宮を建立するに先立つカミ(上=God)の降臨地名】(ゐまり=伊万里であった。

㊟★ゐまり=伊万里】(数価358…とは~(創世記49・⑨~⑩)…⑨ユダは獅子の子。私の子よ、貴方は獲物を取って上って来る。彼は雄獅子のようにうずくまり雌獅子のように身を伏せる。誰がこれを起こす事ができようか。⑩王笏はユダから離れず統治の杖は足の間から離れない。「ついにシロ(メシア)が来て、諸国の民は彼に従う」(イエバシロー/IBASLH=メシアが来るフレーズ数価358)。

…つまり、その数価【358】を用い、日の本思想に因る【ヤマト国家】成立としての成立宣言(AD351年=崇神天皇12年条~初国知らすミマキ=崇神天皇の代と言う詔)が発せられました。その構図は~「AD351年-358=紀元前7年」(乗り下せホツマ路拡アマモ磐船)の時として、既に作成済みだった「日本のカミ代の物語」最後の処に歴年史を遡らせ、タケヒト(後に言う神武天皇)の東征開始年(紀元前7年・甲寅/ホツマ鈴木暦51年)として再設定されました。

…話は変わりますが~昭和29年(7歳・小学1年)の或日の昼過ぎの事。小学校から帰ると私は嫌な思いを抱えていたので、直ぐ、浦ノ崎塩浜海岸に何時も止めてある祖父の発動機船の上に仰向けに成り、なんとなく空を眺めていました。すると一瞬、光(太陽光線ではない)が私の額を貫き抜けました。フト、我に返ると~「自分にしか出来ない事がある」(カミの啓示=指示・Command)~と言う不思議な言葉が私の脳裏に確とインプットされていました~

…昭和31年(小学3年…9歳)の初夏の或る日の昼過ぎの事。家庭訪問で担任の吉田先生(手品の得意な先生だった)を道案内して家に帰ると、毎年、初夏から夏の終り頃迄も黄色で美しい花を咲かせていた「3本の木」(当時、その花の名称は誰も知らなかった)は、無惨にも切り刻まれ倒されていました。その変り果てた「3本の木」を目の当りにした時の悲しさと悔しさは、今(75歳)に成っても忘れる事が出来ません。つまり私が小学3年生の時(昭和31年)、佐賀県伊万里市の県道(現在・国道204号)拡張工事に伴い、浦ノ崎海岸「高尾の鼻」付け根(追﨑)の断崖下に位置する叔父の「焼塩製造所」と「屋根瓦製造所」、及び、私達の居住地は強制的に立ち退きを余儀なくされていました。それで母に訊くと、市の関係者の人がやって来て「3本の木」を切り倒し、小さく切り刻んで帰ったとの事でした~

「自分は死ぬ迄に何かをしなければならない」自分にしか出来ない事がある)と言う、カミ(上=God)の啓示的文言Command/指示を無視する事が出来ず、その「何か?」を探す為に私は脱サラを決行(昭和47年6月/25歳の時)。そして、自分探しとする「インナートリップの旅」に入りました。そのインナートリップ13年目の時、哲学者の梅原猛氏が書いた記事が毎日新聞夕刊(昭和61年=1986年8月22日・金曜)に…「柱と鳥について㊤」…と題し掲載されていました。その記事を読み終えた瞬間、即、私は「インナートリップの旅」に終止符を打ち「自分に与えられた仕事は鳥居と千木の語元を解明する事である」と結論付けました。その研究の甲斐あって、その翌年5月頃、先ず【千木の語元】(【鳥居】の語元も解明)を究明する事に成功しました。

※【ヤマト言葉】文字に付随するカバラ数価配と文字の配列順表(筆者作図)…

 

※【フトマニ図】(48字カミ+3文字一体カミ=49・ヨソコカミ)中心の3文字一体【ア・ウ・ワ】(三角数合計…1+66+300=367)文言数価367】が【天御中主】(アメノミナカヌシ)の語元です…因みに、その【フトマニ図】の石製が、伊万里市の楠久にも存在(或る寺の住職さんの話していたとの事でした~!!

  

日本の国生州【オノコロ】(日本・国生み物語の舞台地名・カバ数価790)とは、【ヤマト言葉】を構成する助詞「テ・ニ・オ・ハ」文言文字数価【521】(カバラ数価8+10+500+3=521)と、「God=AL」数価【31】(エロヒム最初の2文AL数価【31】は和歌の基本文字数として設定された)との合計数価【790】(521+31=790は勿来の語元数価)を語元として【オノコロ】(三角数/オ・231+ノ・300+コ・253+ロ・6=790)の単語が造語されました。

…倭語、最初の【1文字・数価言語】(ヒ・フ・ミ・ヨ・ヰ~等)の設定方式は、ギリシア語母音【あ・い・う・え・お】(「Aア・Eエ・Iイ・Oオ・Yウ」)文字配列を秘密裏にカバラ数価を組み込んだギリシア【イオニア式・文字配列順】に並べ変え、その数価合計が【1844】に成るよう、予め抽出された文字文言を以て造語されました。つまりそれが~「ヒ9+フ50+ミ20+ヨ5+ヰ300+ム70+ナ4+ヤ700+コ600+ト2+モ1+チ80+ロ3=1844」(文字配列順数価合計は141です。そしてその意味する処は、先述の天御中主数価【367】とALHM(エロヒム)最初の2文字AL数価【31】(紀元前31年のクムラン大地震に関連する)とを合計すれば、【ギリシア語訳・聖書】の創世記に記された「ノアの昇天年数価・2242」(1844+521+31=2242はギリシア語聖書に記載)を抽出する為であった。つまり、抽出数価【2242】と完全数 (①…6/➁…28/③…496/④…8128)の④番目【8128】との合計数価【1萬370】を更に抽出する為であった。そして尚、Godの倭語呼称【ヨロヅ】1萬/萬数価単位単語)、及び、そのヨロヅカミの別称【アメノミナカヌシ】ア1+ウ66+ワ300+3文字=370)の語元数価【370】として更に再分割分割し、倭語呼称に於ける最高位のカミ名【ヨロヅ】(御親カミ・ヨロヅの別称=天御中主)と称し設定されました。

…因みに、その【1萬・ヨロヅ数価】抽出の要因は、エノク書に記す…「1萬(myrioi/ミリオイ)時代が巡って来て、彼らの罪の日数が満る迄である~」(エノク書21章5~6とする語意の成就が目的であった。そして尚、日本人の聖書を作成する必要から【日本建国創建史・枠物語】的に別数価として再設定されました。その再設定方式とは~「創世記の語元数価・3910」(倭語ミコトの語元数価)+「エノク10週年数価・満4899」+「ダニエル書のカミの手文字文言数価・1191」(和歌の基本文字数価31+国生み州オノコロ数価790+天御中主数価370=「1191」はダニエル書5・24~28の文言文字数価に当たる)=【1萬・ヨロヅ数価】として定義し、日本人の聖書『ホツマツタヱ』(秀真伝)。そしてその姉妹書『ミカサフミ』(三笠文)文書が作成(創世記に始まり起元1世紀~4世紀末頃迄の歴年史文書)されました。

…後年、隠されていたその双方の文書を探し出した【厩戸皇子】(聖徳太子)は、そのカミヨ文字文書を漢字に変換し編纂させ~『先代旧事本紀大成経』(72巻本)~と題し完成させました。因みに、その文書に継ぎ足し編纂されたのが逸書【日本紀】(養老4年奏上)であり、尚、現在は『日本書紀』(明治30年/『日本紀』…ニホンギ文書の講筵でテクスト的に使用された下書き文書を編輯したのが現在に言う『日本書紀』である)として存続しています~

 

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