剣術の基本は、先に斬りにいかないこと。

相手の攻撃を迎撃するのが正しい勝ち方です。

『後の先を捉える』と武道では表現します。

 

上級者同士の試合などでも、相手の出方を見るためにお互いに動かずにじっとなるし、動くとしても相手の攻撃を誘うように牽制する。

 

ボクシングで言えば、ジャブのようにそれで決めるわけではない誘いの手をだして、相手の大きな攻撃を出させようとするわけです。

 

人間関係でも、同じことが起こっているのかもしれません。

人に勝つためには、常に後出しすれば勝てるのかもしれない。

 

自分から心を開いて誰かに踏み込めば、相手はそれに対応する。

選択権を相手に与える。

 

「こんにちは!」と知らない人に挨拶したとしたら、

気持ちよく返事を返すのか、変な人だなと無視をするのか、適当にあしらうのか、

そこには、後者の優位性があると思う。


先に自己開示もそう。みんなと違う意見を発言するのもそう。

 

行動を先に起こすほうは、常にリスクがあると思う。

 

だから、最初は目立たなくするのが良いと、人は思うのではないか。

様子をみて、それに対応した自分になれば、いろいろな場面でうまくやっていけるのではないかと。

 

負けない、でも勝たない。

行動を起こさない、でも得ることもない。

危険に飛び込まない、だから安全。

 

逆に、

何かを先に行う人、行動を起こす人、新しい事をする人は、

リスクと向き合っている人なのだと思う。

 

笑われるかもしれない、無視されるかもしれない、ののしられるかもしれない、滑るかもしれない、うまくいかないかもしれない。

 

実際にこれまでも沢山の人が、挑戦して痛い思いをしてきたと思う。

 

 

だけど言いたい。

 

それでも、行動を起こしたくなる、何かを言いたくなる、表現したくなる、

そんな思いがわいてきた時は、自分のなかの神聖に触れているときなのだと思う。

 

肉体や物質という三次元といわれる世界がすべてに思える中で、

敢えて勇敢にそこに新しいエネルギーを注ごうとするとき、未知に飛び込もうとするとき。

 

本当は壊れるものはない、破壊されれるものはない、

情熱が向かう先はもっと新しい現実がある。

そんな世界にたどり着けるときだと思う。

 

 

「行動しなさい」

僕はこの言葉が好きではない。

言いたくもないし、言われたくもない。

 

自分の中から沸き起こってくるものがないときに、

誰かに言われて行動なんか起こしたくない。

 

でも、自分の中から何かが沸き起こっているとき、行動をせずにはいられない。

偉大なアーティストがインスピレーションを信じて表現するように。

 

行動する恐怖を克服する人が好き。

斬られるかもしれない恐れのなかで、勇敢に斬りこむ侍のように。

 

 

「現実を見なさい」

つまらない言葉だと思う。

その瞬間に過去になった現実という幻影に主導権を与える生き方を壊してみたい。

 

 

 

ぶっとんでいる人が好き。

自分を見つけようともがいている人が好き。

昨日の失敗を笑える人が好き。

挑戦している人が好き。

傷ついた自分を癒している人が好き。

 

衝動を感じて、先駆けて行動をする人が好き。

というか尊敬する。


 

スピリチュアル、精神世界では言われる、

目に見える世界より高次元が実在すると。



この世界は勝ち負けや奪い合いではない、共同創造できる。


現実と思われる世界は実在しない、

高次元が反映しているに過ぎない。

 

5次元に飛び込め。


実在するものは脅かされない。

実在しないものは存在しない。

ここに神の平安がある。
<奇跡のコース>