昭和48年の秋も深まった昼下がり。

森乃石松は『なんで、あの男は自分の名前ではなく、俺の名前を身に着けて死んだんや?』と西野老人に問いかける様につぶやいた。

西野老人は『その人は石やんみたいな魔法使いになりたかったんやろなぁ。』と、ぽつりを言った。

森乃石松:『俺は魔法使いと違うで。魔法なんか使うたことないで。』

西野老人:『時々、魔法使いみたいに見えることがあるで。これまでも、誰もが関わることを嫌がっていた人を何人も助けてきたやろ?』

森乃石松:『あれは浜野先生(医者)が手伝うてくれたからできたことであって俺一人では出来へんことや。』

西野老人:『それでも、あの人には石やんが魔法使いに見えてたんやろ。だから石やんの服を着て死んでたんと違うか? 今度、生まれ変わってくるときは石やんみたいな魔法使いになりたいと願うてなぁ。』

森乃石松:『・・・・・・・・』


昭和42年の冬。神戸の端っこの町で。
春先の空が曇って寒かった日の午後3時を少し過ぎた頃、古びた小さな駄菓子屋の前に2人の子供が立っていた。
兄の名は司。妹の名はヨシ子。2人は3つ違いの兄妹である。

ヨシ子:『私、「¥」持ってへんで。』

司:『「¥」は要らんから大丈夫や。』

ヨシ子:『なんでや?また泥棒をするんか?』

司:『泥棒なんかせぇへん。あとから母ちゃんに「¥」を貰うて買うんや。』

ヨシ子:『ほんまか?嘘と違うやろなぁ。』

司:『嘘なんか吐かへん。今まで俺が嘘を吐いたことがあったか?』

ヨシ子:『年がら年中、嘘ばっかり吐いてるやないか!』

司:『大きな声を出すな! オバンに気づかれるやろ!』

ヨシ子:『また泥棒をするねんなぁ!
小母ちゃーん、家の兄ちゃんが泥棒するでーぇ!!』と大きな声で叫んだ。


が、、、冬なので戸を閉め切っていたため、よし子の声は届かなかった。

司は、よし子を抱きかかえて、その場から走り去った。
駄菓子屋から20メートルほど離れた、近隣で「お化け屋敷」と呼ばれていた家の石造りの階段を上がり門構えの前の踊り場まで走り・・・・

司は『ほんまに後から母ちゃんに「¥」を貰って買うんやから泥棒と違うんや。』

ヨシ子:『嘘やったら、針千本。飲むんか?』

司:『うん。嘘やったら針千本呑む。だから、お菓子屋にオモチャを買いに行こな。』

と司に促されて、よし子は司と駄菓子屋へ行った。

司は『ここに来たことは、お母ちゃんには内緒やで。ええなぁ。』と言った。

ヨシ子は『・・・・(母ちゃんには内緒やけど父ちゃんには言うからな)・・・・』と心の中でつぶやいた。

兄の司が駄菓子屋の引き戸を開けた。
キーキー、ガタガタ、と、音を出しながら引き戸が開いた。

司は、『小母ちゃん、こんにちわ。』と駄菓子屋の老婆に愛想よく言って、先に駄菓子屋の中へ入り、
妹のヨシ子を振り返って、『ヨシ子も早く入り』と言った。


が、、、妹のヨシ子は、なかなか入ろうとはしなかった。

老婆が怖かったわけではない。

ヨシ子は、これまでも兄の司には散々、煮え湯を飲まされてきたからなのだ。
司は、わざと母の言いつけに背いては、それを自分がやったのではなく妹のヨシ子の仕業である。と母に嘘を吐き妹に全ての濡れ衣を着せては、妹が母に折檻されるのを笑いながら見て楽しんでいたのだ。

ヨシ子は、また兄が何か企んでいる。と思ったから、なかなか駄菓子屋の中には入らなかっただけなのだが。

駄菓子屋の老婆は、
『あんたら友達かぁ?』と司に聞いた。


司は、『ううん。兄妹やねん。』と返事をした。

老婆は、『寒いから早く中に入っておいで。』と言って妹を店の中へ招き入れた。


そこは駄菓子屋といっても名ばかりのような店であった。
菓子は申し訳程度に飴玉しか置いていなかった。

そして、この店は、とにかく狭い。
店の作りも変わっていて、やたらと棚が多く、
飴玉は2段目の棚に置かれていた。
種類は、黒アメ、普通の白いアメ、ニッキ味。の3種類であった。

京間の1畳半ほどの店内に、京畳、半畳ほどの台を置き、その上に売れ筋商品が並べられていた。

買いに来る客も小学校高学年から中学生が多かった。

主に年かさの子供が喜びそうな、映画の看板スター、相撲の力士、旧日本海軍の名将などを印刷したベッタン(“めんこ”のこと。)や、
テレビ漫画のキャラクターの絵が20円。と、プロ野球選手の写真が30円の、お楽しみ袋や、
“当て物“といって10円で1回、引く、くじ引きが1種類と、20円で1回引く、くじ引きが2種類だったかありました。

妹が店に入るなり、

兄は『ヨシ子、帰るでぇ!』と言って、駄菓子屋を飛び出していった。

呆気に取られながらも妹は兄の後を追った。


駄菓子屋から真っ直ぐ南へ約50メートルくらい行った四つ角まで来たところで、高校生1人、中学生3人、小学生4人の悪ガキ集団が待ち構えていた。
兄妹は悪ガキ達に取り囲まれ、

首領と思しき高校生が、『おい。司、首尾は、どうやった?』と兄に聞いた。

兄は『妹のお蔭で上手いこと行った。』と言って、ポケットから何やら出して“善さん”と呼ばれていた高校生に渡した。

善さんと呼ばれる高校生は、
『お婆んの店から盗って来い言うていた物と違うやろが!もう一回、行って今度は、ちゃんと盗って来い。今すぐに行って盗って来い!』と兄に命令をしていた。


妹が、『お兄ちゃん、また泥棒をしたんか!? 泥棒は悪いことやねんで!』と言うと。

善さんと呼ばれる高校生は、『なんや、こいつは?』と兄の方に聞いた。

兄は『僕の妹やねん。』と言うと、

首領の高校生は、『「善さん、僕の妹です。」やろが。お前は、ものの言い方も知らんのんか?え゙え゙!?
まあええは。早く行ってお婆んの店から、ちょろまかして来い』と一端の兄貴分気取りで言った。


妹は、『泥棒なんかしたら、あかん!泥棒は悪いことやねんからなぁ!泥棒なんかしたらあかん!』と叫びながら妹は兄を追おうとした。

しかし、配下の中学生に腕を掴まれ、兄を追うことが出来ませんでした。

それでも妹は、『お兄ちゃん、泥棒なんかしたらあかん!』と、叫び続けた。

首領の高校生は、『お前、どこの者や?』と聞いた。

妹は、『どこの者でもええやろ!』と返した。

首領の高校生は、『生意気な奴やな!お前、どつかれたいのか!?え゙え゙!!』と脅しを掛けた。

が、妹も、『どつきたかったら、どつけや!その代わり後で、どんな事になっても知らんからなー!おんどれー!』と言い返した。

妹は喧嘩になったときには言葉が大変荒くなる。兄は、きれいな関西弁を話すのであるが。

その後、しばらく首領の高校生の“善さん”と、小学1年生のヨシ子との睨み合いが続いた。

首領の高校生が、『気色の悪いガキやなー!お前なんかに用はないわい。早く家に帰れ!』と言ってヨシ子を追い帰した。


妹のヨシ子は、今の段階では自分にはどうすることも出来ないので、父親が帰宅するのを待つ事にした。

夕方、5時ごろ兄が帰ってきた。

そして、妹に、こっそりと、『お父ちゃんには、今日のことを言わんといてくれへんか?』と言った。

妹は、『そんでも、また泥棒をしたんやろ。』と聞いた。

兄は、『どうしても、お父ちゃんに言うのやったら、お前が泥棒したいうて、お母ちゃんに言うでぇ!それでもええんか?』と妹を脅しにかかった。

妹は、首を縦に大きく振った。
この兄妹の性格は真反対であった。
脅しに簡単に屈してしまう兄と、決して脅しには屈しない妹であった。

司は母親のサチ子に、『お母ちゃん。ヨシ子が駄菓子屋で泥棒しよったんや。どないしょう?』と言い、自分の所業を妹に擦り付けた。

母親のサチ子は、
『お前は、またやったんか!?あんだけ、お父ちゃんに怒られても、まだ分からんのか!?』と言うなり、力いっぱい自分の娘を叩き始めた・・・・延々と・・・・


どれくらい時間が流れただろう・・・・ヨシ子は叩かれ続けた痛さでグッタリとしていた。

母親は軽い運動をしてスッキリとした爽快感を得たような顔をしていた。
兄の方は、というと、その夜のうちに嘘がばれるとも知らずに、ほくそ笑んで見ていた。

その後、直ぐ、玄関先で足音がした。

『今、帰ったぞぉ。』と父親が仕事から帰ってきた。

夜7時過ぎ頃だろうか。

母親は何事もなかったかのように夕食を運んできた。

父親は食事をしながら、『今日は何も変った事はなかったか?』と言った。

妻のサチ子と息子の司は『うん。何も無かったでぇ。』と返した。

が・・・・
娘のヨシ子が『お父ちゃん。あんなぁ、今日、私が泥棒した事にされて、お母ちゃんに豪いこと叩かれてん。』という言葉を発したことで夕食はお預けとなりました。

娘の話を聞くなり、父親は、
『何ぃ! おい。司、ほんまか?』と息子に聞いた。

司は、『・・・・・・』口ごもって返事をしようとしなかった。

父親は、もう一度、『司、ヨシ子が言うたことは、ほんまか?』と聞いたが、息子は、それでも口の中でモゴモゴ行っているだけだった。

父親は、もともと大きな声なのだが、
『どっちやねん!ほんまか、嘘か、ハッキリせー!』と、もう1つ大きな声で聞いた。


妻のサチ子が、『司は優しい良い子やねんから、そんな悪いことをする訳がないやないの。ヨシ子が嘘をついているのやない。』

父親は、『お前は黙っとれ!』と妻に言った後、娘のヨシ子に、『駄菓子屋から盗ってきた物を、ここに持っておいで。』と言った。

ヨシ子は、『お兄ちゃんが持ってるねん。』と返事をした。

父親は息子の司に、『ヨシ子が盗んだという品物を、何で、お前が持っているのや!?何でや!?』と、いっそう声が大きくなった。

司は怯えてシクシク泣き出してしまった。
父親は、息子に対しても厳しく接し、駄菓子屋から盗んだという品物を持ってこさせ、それを持ち、子供たちを連れて駄菓子屋へ向かった。

夜も8時近かったので駄菓子屋は店を閉めていた。
が、しかし、父親は戸を叩き駄菓子屋の老婆に店の戸を開けてもらった。

老婆は、『へえ。へえ。ちょっと待ってなぁ。』と言いながら店の戸を開けてくれた。

老婆は父親の顔を見るなり、

『石さん、こんな時間にどないしましたんや? 寒いさかいに中に入ってちょうだい。』と言って父親と、その子供たちを店内に入れてくれた。

父親の名前は、森乃 石松という。

老婆:『こんな物しかおまへんけど、どうぞ。』と言って白湯を出してくれた。

森乃:『おおきに。寒いさかい温もれますわ。』と言って白湯を啜った。
一息ついて、『これは、あんた所の品物かいな?』と老婆に聞いた。


老婆:『へえ。へえ。間違いなく家で売っている品物ですわ。これが何か?』と森乃に聞いた。

森乃:『今日、家の子が、あんたの店から、これを盗んだ。と、いうて聞いたもんでっさかい、晩も遅いねんけど、子供らを連れて謝りにきましてん。』と老婆に詫びを入れた。もちろん代金を支払った。

そして、森乃は老婆に兄妹が店に来たときの様子を聞いた。
老婆は、その時のあり様を森乃に伝えた。

森乃は、『ほな、息子の方が先に店に入って、その後、暫くしてから娘が入りましてんな。』と老婆に確認した。

老婆は、『へえ。娘はんが入るなり息子はんが店から出て行って、娘はんも後を追いかけて店から出て行きよりましたで。』と森乃に説明した。

森乃は、『夜分、遅くにすんまへんでした。おおきに。』と老婆に言い、子供たちにも老婆へ詫びを入れさせた。

老婆は、『寒い中すんまへんでしたなぁ。おおきに。』と深々と頭を下げた。


老婆が経営していた駄菓子屋から家までは200メートル足らずであったが、司の足取りは、とても重く、なかなか前へは進まなかった。

父、石松は司に、『何を、トロトロ歩いとるのや!もっと早く歩かんかい!』と怒りの混じった声で言った。

司は父の声に立ち竦んで動かなくなってしまった。