私の実家のは「母」と呼ぶ人はいても【母親】はいませんでした。
私が生まれてから、母は、ことあるごとに私を殺害しようと虎視眈々とチャンスを狙っていました。
母は、何故、それほどに私が憎いのか❓

近所の人の話では、私は父が外の女性に産ませた子どもなのだそうです。

父は女好きなのか。というと、そうでもなのです。
異性が嫌いな男はいないと思いますけどね。

とにかく母は頭が悪い。
思考能力が、ほとんど「0」に等しい。
だから父は常にストレスがMAXの状態でした。

近所の小母さんたちの話では、
『あんたは、お父ちゃんの浮気の犠牲者やなぁ。だけど、お父ちゃんを恨んだらあかんでぇ。あのお母ちゃんやったら、《お父ちゃんが外に女の人を作っても仕方がない》と小母ちゃんもと思うでぇ。』
と口を揃えて言っておりました。

だから私は子供のころから、
『母ちゃんは本当のお母さんやなくて継母やったんか。だから、母ちゃんは、毎日、毎日、ヘトヘトになりまで、私を、2~3時間、シバキ上げ続けるんか・・・・』
と納得していました。

今でも私は母は実母ではなく継母であると思っております。
本心から、そう思っております。

私には、とんでもない出来損ないの兄が居りますが、血のつながりは半分だけ。と思っております。
兄は母が産んだ子供ですけれど、私は母の子供ではありませんから。

私の実の親は父だけです。

私は幼いころから母に、
『お前はサタンの子やから母ちゃんの子と違う! 母ちゃんの子はお兄ちゃんだけや。お兄ちゃんは神の子やねんから、お前とは出来が違う。』

『お兄ちゃんが悪いことをするのは、サタンの子のお前が居るからや! お前さえ、この世から居らんようになったら、お兄ちゃんかて、ええこになるのや!』


と大声で叫びながら私を、毎日、2~3時間、シバキ上げ続けておりました。

物心つく前から、、、、中学に上がるまでですから・・・・

生まれて間もない赤ん坊のころからですから、、、、約12年。

・私が『勉強をさせて欲しい。勉強するために参考書を買うて欲しいねん。』
と頼むと、、、、

母は『お前みたいな出来損ないが勉強して何がわかるねん! お前みたいな出来損ないは、《神の子》のお兄ちゃんを死ぬまで面倒を見続けることや❗❗ それが、お前の幸せや❗ 要らん事ばっかり考えんと、お前は死ぬまで、母ちゃんと、お兄ちゃんの世話だけしとったらええんや❗ お前はサタンやねんからな❗ よう覚えとけ❗』
と母は子どもだった私を、毎日、毎日、怒鳴りつけ、2~3時間、シバキ上げ続けていました。

だから私は子どもが勉学する権利の全てをはく奪されたまま大人になりました。
私の今ある知識は全て独学で得たものです。

中学に上がると、
それからは言葉の暴力へと切り替わりました。

・私に初潮が来たとき、
『男に色目を使って誘っているから生理が来たんや! お前は、ほんまにいやらしい子や! こんな恥ずかしい子を父ちゃんは、いつまで家に置いとく気なんや⁉』

だから私は中学一年に上がると同時に家出をして大阪でアルバイトをして自活していく計画を立て、それを実行に移すため行動を起こしました。

が、、、何度も、何度も、失敗しましたが、根競べでした。
母と兄がいる家で暮らすくらいなら、大阪で自活するほうが幸せ。

たとい与太者に騙されて泣きを見たとしても、母や兄と暮らすよりまし❗ と思って何回も家でを繰り返していました。

私が家出をしなくなったのは中学1年の時、定年間近の先生たちと友達になって、
その先生たちが『家を出るのは独学でええから勉強して知識を蓄えてからでも遅くないと思うで😊』と言ってくれたからでした。

その時から私は受験のためではなく生きてゆくうえで必要な知識だけを身に着ける努力をしていきました。

私に生きてゆくために必要な実力が付くと、
兄と母は『神が、俺とお母に何でもできる妹を与えたんや。お前は、俺とお母が面白おかしく暮らすために最大限の努力をせんとあかんねん。お前はサタン世界の人間やけど、俺とお母は神側の人間やねんからな。その後、お前は、俺とお母が、大勢に看取られて安らかに死んでいくのを見届けた後、お前だけはモガキ苦しみながら死んでいかんとあかんねん。それが、お前の幸せなんや。そうして初めて、お前も霊界で幸せに暮らすことができるねん。』
と私に言い放ちました。

兄と母の言動は異常でしょう❓
これが統一協会という怪しい教団に思考回路を乗っ取られた信者の思考構造です。

情を置くのは同じ信仰を持つ信者同士だけです。
統一協会を信じない家族はサタン世界の人間として蔑むのです。

でもね、
兄と母が信じていた統一協会の神は邪神だったのでしょうね。

面白おかしい人生も、大勢に看取られて安らかな死も無縁なものとなりました。
全ては夢幻と終わりました。

母は自分の家の風呂場で一人寂しく溺死しました。
その時、兄も家にいたのですけれどね。

兄は創価学会の仏壇に向かって一心不乱に大声を張り上げて題目を挙げておりましたそうな。

兄が、なかなか風呂から上がってこない母の様子を見に行くと湯船に沈んでいたのだそうです。
が、、、、それが本当の話かどうか不明です。

理由:証言を聞くたびに話が二転三転、四転五転していたのです。何が本当の話なのか全く分かりませんでした。

母が仕事を引退して統一協会に献金することができなくなった途端、兄と母は統一協会に見捨てられました。

で、、、、、
兄と母は創価学会にしがみついて、日がな一日、勤行と唱題に明け暮れておりました。

母が亡くなった後、兄は南の島に住んでいるという幻の老人に養ってもらうために、大阪からフェリーに乗って南の島へと旅立ちました。

その後、南の島の山奥で白骨死体となって南の島の警察に発見されたそうです。

南の島の警察から私に連絡があって、、、、

それを境に私の体調不良は劇的に改善しました。
私の体調不良の原因は母と兄だっやのです。