選択 | SunnyAfterRain
最近、有名な芸能人が自殺しちゃったり、医者が安楽死に協力して捕まったり、そういうニュースをちょこちょこ耳にするなぁって...
考えててなんとなく書き始めてしまった


重い話題だけど...
生死を選択できるのは生きてる人だけ
(生きてる人間が知覚できる限りでは、ですが)
だからちゃんと考えなきゃ




私は自殺はあまり良いことだとは思いません
死ぬ以外に逃げ道があるなら、まずそっちに逃げるべきだと思うし
仕事やめるとか、「心配させたくない」とか「根性なしだと思われてしまう」とか言ってないで誰かに相談するとかね.....うーん

せっかくまだ使える命、捨てるなんて勿体ないもの

でも、本当の本当に死ぬ以外に逃げ道がないなら仕方ないのかなぁとも思う
生き地獄よりは、死んだ方が楽なのかなって


だって、生きてる限り自分の心と体とは別れられないから、それか苦しみの原因ならどうにもならない時だってあるでしょう?

もしも癌の痛みが、体の苦しさが、体の不自由さが辛くて、辛くて寝ることもできなくて、麻薬を使っても逃れられなくて、もう眠らせてほしいもう起きたくないよと思うなら、もしも鬱病になって、頑張って治療しても良くならなくて、何年も何十年も気分が落ち込んで、楽しいことも良いことも何もなくて、生きていることそのものが辛いなら、もしも、他の精神疾患になって、治療してもダメで、ずっとずっとみんなが自分の悪口を言い続ける声が聞こえ続けて、誰かが自分を恨んで殺そうとしている、誰かが自分の体を乗っ取ろうとしている、ずっと狙われて夜も眠れない、そんな世界が自分にとっての真実になってしまったなら、もしも、体がどんどん動かなくなって、もう目しか動かなくて、トイレもお風呂も全部人に世話されて恥ずかしくて、心ない人に嫌なことを言われて、もしかしたらイライラしてるときなんてちょっと抓られたりして、でも傷ついても何も言えなくて、どこか痒くても痛くても何もできなくて、ごはんも何年も食べられなくて、毎日天井とテレビを見ることしかできなくて、もう死んでしまいたい、と思ったなら

それは、選択肢として否定されるべきではないと私は思います


安易に死を選ぶのはよくないと思う
生きていて選べる他の逃げ道がまだ1つ以上あるなら、そこに頑張って向かわずに、死という逃げ道を選んでしまうのは、安易、なんじゃないかなって...

ただその境界線はとても曖昧で、他人にも本人にも判断が難しい
それに、そこまで辛い状況にある人は、必ずしも意思表示をすることができない



やっぱり本人の意思は何よりも大切
でもそれが何かの原因による一時的な意思なのか、それとも、もう何か修復不可能な悪い状況があって、それに基づいたもう変わることのない意思なのか。
後者なら、自由意志としての死も選択肢として与えられ許されていいんじゃないかなって.....

例え家族がどんなに生きていてほしいと願っても覆すことのできない、絶対的な本人の意思
法律なんかが邪魔してはいけないもの

だから、本人の不変の意思が明確にあるなら、安楽死は許されるべきだと思う


じゃあ、本人が意思表示できないときは?
家族と関係者が本人の気持ちを想像して決めるしかない
いつもこんなことを言っていた、実は昔ちらっとこんなことを言われたことがあった、この人はこんな人だからきっとこう望むはずだ、という推察意思

扱いが難しい...
本人の意思なのか、不変の意思なのか、明確な意思なのか、時に家族との関係やお金・人手、いろんなものに左右されて、ベースも不確かなのにバイアスでぐっちゃぐちゃになってるかもしれない

もしも本人の意思じゃなかったことが後で分かったなら、例えば誰かが嘘をついていたり新たに遺言書が見つかったりしたなら。
それでもそれは安楽死?
それとも殺人?



本人の確固たる意思だということが明確でも難しい
どうやって死ぬ?
自殺?他殺?
他殺なら誰が殺す?医者?看護師?家族?
きっとだれもやりたくないし
本人の死後、家族はどうなるんだろう

なんか安楽死法の話に寄っていってしまいましたが...



とにかく、生きるか死ぬかという選択肢があるなら、まだ生きられるなら、よく考えて選ばないとなぁって。
もしその人が追い詰められて、もしくは障害があったりして考えられないのなら、考える手助けをしたり、誰かが代わりに考えてあげないといけないんだな、って。

死なない逃げ道に手を引いてあげる人がいれば
自分は安全な逃げ道が分からなくなっちゃってるんだって気付ければ、誰かが気づいてあげられれば
そんな人が多分たくさんいた
でもそれってとってもとっても難しいことなんですよね...きっと




中身こんなんでも医者のたまご(ひよこ?)なので、短い期間だけどいろんな現場に出会いました
自死した人とその家族をみました
命を最後まで使い切った人や、本人も理解できないくらい突然に使い切ることになってしまった人や、やっぱりその家族もみました
死を夢見ながらただ生きている人もいた
今の日本で安楽死ができないがために、その先の生き地獄をおそれて、本心に反した死を選ぶ人もみた



命を大事に扱うことは義務みたいなものじゃないかなって思って。
全力で生きることには執着したほうがいいけど、全力で無理ならしかたないこともある
だから安楽死ができないのはいけない気がする
でも安楽死をゆるすなら、悲劇が起こらないように、すっごく準備しなきゃいけない
だからそう急いで安楽死法は作れない
でも安楽死法がないことが、全力で生きる人の足枷にも日々どこかでなり続けてる



人工呼吸器をつないだらもっと生きられるけれど、一度つないだら、どんなにあなた自身が望んでも、死んでしまうまでは絶対に外せません。

そう言われたら、私はどうするだろう?

あと数カ月であと1年で死ぬなんイヤだ
でももっと病気が進行したら
生き地獄を味わうことになるかもしれない
それなら、せめて辛い思いをしなくていいように、生きるのを諦めよう
そんな人がきっとたくさんいる


何が言いたくて書き始めたのかもはや分からなくなってるけど.....

意外に他人事じゃないから世の中の人々、まじでみんなに気をつけてほしい。
未来は未知で、諸行無常で、明日は我が身、です


私はちょっと前に忙しい時期がありました
あとで記録見たら、ひと月の実働が430時間くらい
でもギリギリ睡眠は取れてたし、まだいけるまだいけると思って頑張った笑
そのあとから?
まだ疲れが残ってるのか?

別に気分が落ち込むことも自責感に襲われることもないけど、なんかめんどくさくて、
笑うのも食べるものめんどくさくて、泣いたらスッキリするとは言うけど特に泣く理由もないし、体重が減ってやや無表情寄りになった意外は特に変化なし

でも、なんか疲れたなーまじ仕事サボりたいな帰ったら寝よーって思ってたら、帰りの電車がホームに入ってきたとき、無意識に車体前の線路に目が行って
死んだら働かなくていいのか...、ってフッと思って、2秒後くらいに、あ、これあかんやつや。ってなったことがありました。
2年くらい前にも別に落ち込んでもないのに、ふと車の前に飛び込みたくなったことがありました。

だから、マジでやばくなったら全部放っぽりだして全てから逃げよう。と私は日頃から決意しています


日頃から何事も決めておくの大事
Living willも大事だけど、考えておく話しておくだけでもやっておかなきゃね...