鈍感力 | そぉまの脳内散歩道 ~にのあい時々ROCK~

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嵐の相葉さんとにのあいとROCKが大好き♡
そんなそぉま脳内をてちてちしては徒然なるままに、
アラシゴト以外も好きなように綴っている、
なぁーーーんの役にも立たないブログです(*´∀`*)/


作家さんでもいますよね。
人間観察が好きで、
興味を引かれた人の後をついて行っちゃうって人。

あ、すいません。
しやがれの多江さんの話です。



「人間観察」、あたしも昔はよくやってました。
いや、さすがにあとはつけなかったですけども(笑)。

たいていは喫茶店(カフェじゃない(笑))の窓際の、
でいて店内もぜんぶ見渡せる席に座り。
通りを歩く人たちや、店内にいる人たちの
「観察」 ( ̄▽+ ̄*)←それはそれで。。。

で、気になった人の人物設定を考えたり。

「今すれ違ったあの人とあの人、
10時間後に飲み会の席で出会うことになる。
10時間前にすれ違ったことなんてお互い覚えてないけど。」
みたいな架空のストーリーを組み立ててみたり。

遠くの席で話してる二人連れに、勝手に会話を当ててみる。
街の色やその場の空気を言葉に置き換えてみる。
目の前の景色を言葉で描写してみる。
どこからか流れてきたメロディを物語にしてみる。。。

もちろん、実際に人と会ったり話したりすると
想像をこえた面白いことがいっぱいあって
それはそれで刺激になりましたよ?

夢に向かってなりふりかまわず爆進中!だった当時は
文章表現力を高めるためにいろんなことやってたのねー。
楽しみながら。←大事。
「観察」はその手段のひとつ。

で、
「ひとりでにやっと笑ったり悲しそうな顔したり、あんた怪しい人だよ。」
つって、
観察してる側だったはずの自分が
逆に友達に観察されてたりしてね( ̄▽ ̄)



そうして変態だと思われながら得た観察記録。
それはあくまで引き出しに入れとく資料ファイルのようなもので、
どのファイルがどこで必要になるのかは分からない。
思ってたのとはぜんぜん関係ないところで役に立ったり、
重要だと思ってても一生引き出しに入りっぱなしかもしれないし、
取り出したことを知らずに使ってることもあるだろうし。

だから多江さんもね、そうやって増やしたファイルが、
実際に演技をする時の肉づけなりスパイスとして
活かされてるんだと思います。←変態擁護。



「俺の長所は顔。ここまで顔で来たようなとこありますからね。」
とか言っちゃう国民的アイドルで、
「腹筋がひと部屋」なのに心臓をわしづかみ!
にしちゃう演技をする人がいるように、←名前を言いなさい。(笑)

見た目的に「美しくあること」が女優である。
という定義も間違いではないと思うけれど、
「女優であること」は=美しさじゃなかったりもするじゃないですか。


そんな女優さんの、相葉さんに対する「鈍感力が高い人」発言。


語り口がやわらかい方なのでザクッ!と切り込む感じはしないけれど、
けっこうな重み、ありましたよ。

「鈍感」という言葉の響きはちょっとイメージが悪いけれど、
そこに「力」がつくだけでとっても素敵な褒め言葉になりますな。



感受性の高い繊細な人って、
他人とのコミュニケーションを苦痛に感じることも多いと思う。
そばにいる人間から感じ取ったことを全部引き受けようとすると
苦しくなっちゃうもんね。


場の空気が読めずにどんな場面でも笑えちゃう
本当に「鈍感」な人と、
場の空気を読んだ上であえて笑ってみせられる
「鈍感力」の高い人。

本当は人の心の機微を繊細に感じ取ることができ、
場の空気をよむことにも長けているけれど、
人間関係を円満に、かつ自分をフラットにしておくために
あえてその感度を下げておくことができる人。

いろいろ感じ取っていても深刻に捉えすぎず
前向きにもっていける、メンタルの強さを持っている人。

相手に気遣われてると感じさせずに気遣うことのできる、
本当に優しい人。


つまり多江さんの言う相葉さんの「鈍感力」=「優しさ」。
そう解釈しました。
たんに「優しい人」と表現しないところが、変態行動のたまもの(笑)。
ん?そもそも変態だからストレートに表現したくないのか?
どっちでも変わりないか(笑)。

さすがにのちゃんと仲良くしてる方だけあるわ(*´∀`*)



で、相葉さんの「鈍感力の高さ」を感じ取り、
「いつか一緒に仕事がしたい」と思ってくれていた人がいる。
ということが知れて、とっても嬉しかった去年のクリスマス。


前にさとちがどこかの雑誌で

「相葉ちゃんはどんな役でも相葉ちゃんがにじみ出てる。
悪い意味じゃなくて。」(←ニュアンス)

って言ってたけど、

たとえばにのちゃんの演技が
「二宮和也」を消してその作品に染まるカメレオンのごとくあろうとし、
それでいて架空の人物にも生々しい命を吹きこんでしまう。。。
いわゆる「役者」という言葉がふさわしいものだとして。
彼自身はそう呼ばれることを拒否しているとしても。

相葉さんの演技の「よさ」は
どんな役でも相葉さんがにじみ出てきちゃう(一生懸命演じようとすればするほど)。ってところだと思ってます。

そこは滲み出ちゃだめだろ!それじゃ「演技」とは言えない。
という人もいるだろうけど・・・
作品の全編にわたって素晴らしい!!
って絶賛されるような演技力ではないのかもしれないけれど・・・
あえてそこをすくい上げ、彼の魅力が伝わる「役」を、
彼が輝ける「作品」を用意したい。
そう思わせてしまうのも、
役者としてのこれ以上ない才能であり、魅力なんじゃないかと。
それこそ、演技をいくら学んでも得ることのできない部分なんじゃないかと。


だって相葉さん、
素なのか演技なのか。。。一瞬の微妙な表情や眼差しに「ハッ(゚o゚;;」
とすること、けっこう多いよね?
余計な力が入ってない時は特に。←



あたし「デビクロ」3回読んでみたんだけど、
やっぱり当て書きなんじゃないかと思う。
そう思っている人、いっぱいいるよね?

「相葉さんが演じることありき」ではないかもしれないけれど、
中村さんの中に「相葉雅紀」の存在があって書いている、のを感じる。
彼の中にちゃんと「相葉雅紀」のファイルがあることを感じる。
いや、実際はどうかわかんないですけどね?


あとはファンタジーとしての色付けがどう演出されるのか、
映画、すっごく楽しみです。