命日 | Let's write anything.

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今日6月14日は、母の命日。

一昨年の今日の午後に旅立って行きました。

3回忌法要も済ませ、丸2年が経ったわけですが、家の中の母の物は時が止まったかの様に、あの日と変わらないままです。

さすがに、母が寝起きしていたベッドは介護保険でのレンタル品でしたから返してしまいましたが、ダイニングの食卓の椅子もそのまま、病院に行くのに持って行っていた私が旅行の土産で買ってきた鞄も、そのまま同じ場所にあります。
鞄の中の財布も、虎の子の様に大事にしていた年金のお金が残されたまま入っています。

母の肌着も、まだそのまま洗面所のタンスに入ったまま。

父も姉も、居なくなった母の物だからといって片付けようとはしないし、そんな気にもなれないと。

遺骨も法要が終われば納骨する様ですが、最後の最後まで「この家にずっと居たい」と言って、入院や介護施設へのショートステイも嫌がった母ですから、少しでも長く家においてあげたいって思い、寺院の住職に尋ねると、「いつ納骨しなきゃいけないなんて決まっていない」との事で、まだ仏壇の中に置いてあります。

遺骨と言えども、家に有れば母がまだ傍に居る様に思えます。

そして、夕飯の買い物に行った時でも、母に好きだった大福餅買って帰ってあげよう。
糖尿病患ってからは、甘い物を我慢していた母でしたから、思う存分食べてくれたらと、饅頭や串団子など何かしらを「母に・・・」と買って帰り仏壇の前に供えるのが習慣付いています。

居なくなってから、こんな風に大事にするなら生きている内に孝行しておけば良かったなんて思うけど、居れば当たり前の様に思ってしまっていて居なくなって初めて有り難みが分かると言う、親って例えが悪いかも知れないけど空気の様な存在なんでしょうね。

これから月日が経ち、記憶が薄れて行ってしまうでしょうが、命日だけでも母の事をこれからもずっと思い起こすことが、供養になると思います。