今日は前回の記事「徘徊回顧録① 」の続きです。


母の徘徊・暴言・被害妄想が激しかった時の事を書こうと思います。


長々と付き合っていただき申し訳ないですぺこり



木枯らし吹きすさぶ真冬の夜、太陽が照りつける真夏の昼、花火大会の夜。


いろんな時に時間を選ばず行方不明になっていた母。



私が友人と花火大会花火に浴衣を着て出掛け、


「今年の夏初めてのかき氷ラブラブ」と打ち上がる花火を見て浮かれながらかき氷をほおばっていた時に



父から「(おかーさんが)いなくなった」と電話がかかってきて急いで帰った事もあったっけ。。。



仕事帰りに急遽友達とご飯を食べに行く事になり、


今日はご飯いらないと家に電話した時「行方不明になった」と言われて


友達との食事を中止して帰ったりしたっけ。


3年前の元旦、正月早々行方不明になった母を車で探しに行った事もあったっけ。


母の病院の日、父が母を病院に連れて行って、


父が会計してる最中に「先生が嫌いだから」「こんな場所に自分を連れてきた父が嫌いだから」


という理由で怒り、母が一人で病院を飛び出して一日半かえってこないこともあったっけ。



食事中突然「(父と)離婚する!」って言って怒りだし家を出て行ってしまった事もあったっけ。



あの頃は仕事が終わって帰宅すると


母が怒らないよう細心の注意を払い、特に父や離れて住む兄を敵視していた母の機嫌を損ねないよう


父(と長期連休には帰省した兄)と母の間に入り衝突しないよう気を使い、


万が一母が家を飛び出したら母を追いかけて連れ戻すのが私の日常でした。


この記事 (後半部分)にあるように母は父と兄といつもぶつかっていて、


父の性格を引き継いでしまった私の事も「嫌い」と言いだし、母は家族全員を敵視していました。


この頃かな、みんな母を心配してるのに反抗し続ける母にキレて


兄が「離婚しちゃえば?離婚して(母の)実家にのし付けて送り返せばいいじゃん!!」って父に言ってたのぼー



散々心配して探しまわったのに


このリンクの後半部分 の事を言われた事もありましたしょぼん




そして誰よりも母を心配しているのに


「苦労して育てた娘なのにこんな嫌な奴になるとは思わなかった」と母に言われて泣きじゃくる日々。



徘徊の末、家に連れ戻しても



母は興奮のあまり車からなかなか降りてくれず、



時間を掛けて母を説得して何とか車から出てくれても



玄関の前で立ち尽くしたまま家の中に入ってくれず、母はまたどこかに行こうとして抵抗。



抵抗する母をなんとか家に入れても寝てくれず暴言ばかり。



夜9時や10時くらいから家を飛び出して連れ戻す、家の外で抵抗する母を家の中に入れる、


帰宅直後興奮する母がもう一度徘徊しないように母が寝るまで監視する・・・


本当に毎日毎日気が休まりませんでした汗



家を飛び出した母を私が追いかけていって、


家に連れ戻そうとしたら母「あんたなんて嫌い」「ついて来ないで!!」と突き飛ばされたり、



これだけ心配しているのに


母から父や私の人格を全否定するような暴言を吐かれ、罵られ、突き飛ばされ、叩かれ、


「事故にでもあってしまえばいいのにむかっ帰って来なければいいのに」と考えてしまい自分を責めた日々。



行方不明になった母が見つかって家に帰って来たら安心する半面、


帰ってこなくていいのにとうんざりしていた日々。



家族全員を敵視して毎日のよう反抗していた母にうんざりしていた私は

病気だから仕方がないと頭の中でわかっていたけれど、


よくニュースで介護疲れで殺人事件が起きたり、心中事件があったり、虐待があったりしますよねはてなマーク


その気持ちがわかるようになってしまいました。


もちろん手をあげたりはしていないけど、


今でも介護疲れによる悲しい事件をニュースで見るたび、気持ちがわかるだけに涙が出そうになりますしょぼん


しょっちゅう家族に反抗していたあの頃から比べると


母はだいぶ穏やかになったのでだいぶ母に優しくできるようになりましたニコニコ


またまた長くなりそうなので続きは次回と言う事で、


長々と付き合っていただきありがとうございますニコニコ



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父も兄も前に比べると母に優しくなったけれど、母は父と兄の言う事を聞かないのはなぜ?・・・いつも読んでくださりありがとうございます。

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