父が脳出血を発症して3年経ちました。

そして母が特養に入所してまもなく3年。

当時のブログを読み返すといろいろな思いがよみがえります。

父が脳出血を発症して、
ブログお休みします。(2013/3/4)

リハビリ病院に入院し、
父の入院その後。状況報告。(2013/03/20)

父の入院をきっかけに母を特養に入所させた3年前。
母の入所の事。(2013/05/15)


もう3年も経ったのか、と思う一方でまだ3年しか経ってないのかとも感じたりもします。

2006年に母が認知症と診断されてからずっと

父と二人で母を在宅で介護してきたけど、


2013年3月3日(日曜日)の昼に父は脳出血を発症し、

父は介護する側から介護される側になりました。



父が脳出血を発症したのは日曜日だったので、

市立総合病院の救急外来に受診しました。

先週の土曜の夜に娘が体調を崩して

父が受診した市立総合病院の救急外来に日曜日に連れていったのですが

娘を診察してもらっていたら3年前の記憶が鮮明に蘇りました。


父をつれて救急外来に到着してあわてて待合室で書いた問診票。

右半身の麻痺と呂律が回らない状態の父の症状に戸惑いながら

待合室に常設された血圧計で父の血圧を測ったら上が270で

これはただ事じゃないと不安になったこと。

脳出血で後遺症が残るので介護が必要になると先生に言われて

母だけじゃなく父もこんな事になるなんて…と診察室で泣いたこと。

待合室から少し離れた場所で

離れて住む兄に泣きながら電話で父の脳出血発症の一報の連絡をしたこと。

そして、

泣きすぎて電話でうまく話せずにいた私に

電話口の兄から、

「俺も今からそっちに向かう準備をするけど、

今すぐその場に行ってやりたいけど離れてるからそれはできない。



泣きたくなる気持ちはわかるが、

今その場を切り抜けられるのはお前しかいない。


今お前がしっかりしなくてどうするんだ!

と言われて、

この場を切り抜けられるのは私しかいないのに泣いてる場合じゃない!

と思い直して伯父や兄が駆けつけてくれるまで

入院の準備など一人で切り抜けたこと。

そして、

そこから5ヶ月続いた父の入院生活。

そして、母の特養入所。


父の入院中は

父の病院や母の施設や職場と自宅を往復していた日々でした。

母の施設入所については

2012年10月に申し込みをしていた特養から
空きの連絡があって、

父は入所させたがってたけど、

私が拒んだので在宅介護をもう少し続けると決めたのです。

入所待ち特養から連絡がありました その1

入所待ち特養から連絡がありました その2

もしこの時に私が拒まずに

施設入所を進めていれば父は脳出血を発症することはなかったんじゃないか。

と何度も自分を責めたりしました。

母を特養に入所させたばかりの頃は父の病院や母の施設の面会の帰りの車の中で運転しながら泣いてばかりの私でした。

あれから3年。

要支援2だった父が要介護2になり、

手引き歩行でなんとか歩いていた母は歩けなくなり車イス生活になり、

私は結婚して母になりました。

環境は大きく変わったけど、

常に誰かの世話に追われている生活は変わりません。

あっという間の3年でした。


今でも自分を責めてしまったりこれでいいのかと不安になります。

でもよくここまでやってこれたなぁと

しみじみ思う私でした。

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