「評価できない」を「安全とは言えない」という意味で言っているとすれば、「安全ではない」と言うべきだ。しかし、安全ではないという判断にもまた、大きな不確実性があり、従来の意味での「科学的」とは言えないということに気付いてほしい。「安全ではない」という発言は科学的であり、「安全である」という発言は非科学的と考えているような節が見えるが、それは違う。
科学者は「評価できない」と言ってこの判断から抜けるとしても、誰かがこの重要な意思決定のルールを作らねばならない。このことが重要ならば、科学者がこういう問題に答えるための科学を作るべきではなかろうか。科学者に求められているのが従来の「科学的」という枠を超えたものになっているのである。できるだけ事実で裏打ちされたものでなければならないが、それだけで構築されるのではなく、多くの推定を含み、不確実性の高い領域に踏み込まざるを得ない。その結論は思想や好みに影響されやすく、幅のあるものである。
それでもなお、一定の収束を目指す。それは基本的に不確実性の処理のための共通のルールを作ることであり、それこそが今求められている新しい科学であるはずである。
中西準子「~英国、日本のBSE問題から考える~科学者に求められる責任とは何か」中央公論2006.6
2008-03-14
は「現実と虚構の区別をつけるな!」という創価学会の表現規制の理屈を嗤うというか、悪影響論が下火になったと思ったら「人権」問題に舞台がすり変わろうとは。欧米が~と騒ぐなら欧でカルト認定受けている宗教に日本でもカルト認定下さいなとね☆彡
そして今日_ψ(‥ ) カキカキ...するのは、3月4日 に聴きにいった中西先生の講演についての備忘録。
東京大学公共政策大学院主催 損保ジャパン寄附講座「リスクマネジメントと公共政策」第3回公開フォーラム(第45回公共政策セミナー)「食の安全を考える―安全の費用と便益」
基調講演: 13:40~15:10
「食の安全を考える―安全の費用と便益」
中西準子 氏(独立行政法人 産業技術総合研究所 安全科学研究部門長)
パネルディスカッション: 15:30~17:00
「食の安全に向けて:消費者、行政、企業の協調は可能か」
パネリスト
岸本充生 氏(独立行政法人 産業技術総合研究所 グループ長)
山下一仁 氏(経済産業研究所・東京財団 上席研究員)
川口康裕 氏(内閣府国民生活局総務課長)
瀬尾隆史 氏(株式会社損保ジャパン・リスクマネジメント代表取締役社長)
コーディネーター
金本良嗣 (東京大学公共政策大学院 院長)
◎中西教授の基調講演より
1.「安全」を政策目標にするために
Ⅰ.まず安全とは何か?
①「安全」の領域を決めることができるか?有史以来一貫して衣食住(医療)など科学技術、政治の変化に応じて「安全」になり続けている。しかし、報道などを見ていればわかるがそうは感じない。何故か?
→「安全」というのは″絶対的″なものではない″相対的″なものに過ぎないということ。つまり「~(時間・地域)よりも安全」としか言えない社会的な概念である。
②そして実は「安全」は犠牲にされている!?後生大事にはされていない。それは交通事故を看過して使われ続ける「車」であったり、あるいはあれだけ中国や産地偽装の問題などあろうとも、手作りではなく、出来合いの惣菜を食べている。
→つまり「安全」を犠牲にして「時間」を稼いでいる。
③一口に「安全」と言っても種類がある。
例≫クスリ、交通、医療、食、防災、環境、地球環境…
この例の中でどの安全が大切か?決して特殊なものではない「食の安全」だけを考えていると、安全問題全体の中での位置づけができなくなる。
Ⅱ.社会政策の目標とする場合に必要な視座
・安全は相対的な尺度
・危害をClearにする
・安全を表すものを定量化する
・安全がどの程度達成されたかを表す尺度がないと政策の検証不可
⇒「安全」の指標の必要性
⇒指標化を考えてマイナスの方向から「RISK」に置換して考える
(研究センターを立ち上げる際、″安全″研究センターという名称を勧められたが、そこは″リスク″研究センターにしていただいた。″リスク″という言葉自体をとかくすることを嫌がる人がいる!)
RISK=severity×risk (影響の大きさ×エンドポイントの生起確率)
例≫癌のRISK=重篤度×発生率
エンドポイントの条件
・多くの人が避けたい
・避けることが重要な役割
・測定、予測が可能
・ある種の対策に敏感である
※リスク管理原則の中で最も大切な事は「リスクトレードオフ」に対する考慮があるか。すなわち「RISK Tradeoffs(もぐら叩き)」、あるリスクを減らすとまた別の場所で何らしかのリスクが発生することが多い。
2.水道水のリスク
「リスクトレードオフ」の概念を持たないと実害が発生する!
①アメリカにおいてEDBs(二臭化エチレン)という穀類の防腐剤を1984年に発がん性があるとして規制したところ、1988年にカビが発生し猛毒のアフラトキシン生成!
EDBsの発がん性リスク(HERP) =0.0004%
ピーナッツバターの発がん性リスク=0.03%
FDAはHERP=0.3%を許容量とする。ここでも天然信仰とは裏腹にむしろ化学物質に対する規制の方が厳しいことが窺える。ちなみに我が国においては10ppbが基準で、毎日50g食べるとHERP=1%
纏めると、人工の発がん性物質を厳しく規制する自然の発がん性物質が増える。でも、自然のものについてはあまり厳しく規制することはできない。
②米国環境保護局が塩素処理により生成するトリハロメタンの規制をするということを知り、ペルーでは発がん性リスクをゼロとすべく塩素処理を1991年やめた。
→コレラで80万人罹患、7000人死亡!!!
リスクトレードオフは現実に起こる…。(ちなみに塩素処理を増やしても対数的に発がん性リスクを縦軸にとってみると余り関係ない)
※一つのリスクだけを見つめるのは「正しい解」ではない。細菌感染のリスクと合わせて「リスクマネージメント」となる。
3.BSEのリスク
英国で75万頭のBSE感染牛から最尤値として161人死亡を推定したが、昨日確認したところ167人死亡であった。
~BSEのリスク評価についての話は中西教授の既存の論文や書籍を確認のこととして割愛~
但し、情報が少ない場合はリスクを大きく考えざるを得ないということは忘れてはならない。
→ただし、情報量を増やすために全頭検査を行ったに関わらず、何の為の全頭検査であるかを明らかにしていなかったので、リスクが判明しても全頭検査をやめられなくなる。
食の不安において全量回収するケースもこれに同じ。最初の一つに陽性+危険という情報が出た時点では、リスクがあると言わざるをえない。
→検査量を増やすにつれて一分の一から二分の一、三分の一、、、となっていく。
つまり、リスクは動くものだということ。多くの場合、情報が増えるとリスクは下がる!
BSE問題に関して、トレードオフ解析をするとそこで問題になっているのはリスク削減と費用(全頭検査で200億円近くかかっている)。つまり、水道水における塩素消毒の場合と違って、発がんリスクと細菌汚染というリスクがそれぞれ直接健康に関わっている。
このように、片側が「お金」だと安全の為にはお金を惜しむべきではないなどという考え方が出てくるがそもそも「お金」とは何か?それは、他のリスクで贖った「富」ではないか!?
参考になったのが、西原理恵子「この世で一番大切なカネの話」でした。その国の貨幣価値が分かる質問として①汁そば②玉子③人を殺すにはいくらかという問いをするそうです。西原嬢にとっては通過の単位はのり弁だったと。
中西教授にとって「お金」とは
・健康そのものである(病院にいくことができる)
・労働のアウトソーシング(ランドリーとか)
・生活の自由度を上げてくれるもの
・自分の能力を試す機会を与えてくれるもの
4.ハーバード大の業績
「お金」とは他のリスクで贖った富ではないかという点で、ハーバード大学の損失余命に関する命が失われるリスクと、命を伸ばすのにかかるコストの計算の研究が勉強になる。
つまり、赤福の全量回収の費用というのは、他の有用な施策をうてなくする「リスク」となっているということ。この点でちょうど、本日鳩山総務相の郵便局建て替えに際しての発言が話題となっているが、使わせていただくとコスト削減に対して文化やココロの問題という批判がある。
しかし、それこそ文化やココロの問題もリスク評価しろ!
リスクの無いものにコストをかけることこそがリスクだ。
リスクの推定に必要な情報を公開せよ!(検体数、ルート、、、etc)
→リスクを説明しようとしないから全回収せざるを得なくなる。その意味で、全回収=良い企業ではない。むしろそういった評判を勝ち取ろうと説明をしないパナソニックのような姿勢こそ問題ではないか?
また、すぐに特定の国と結びつけるのはよくない(日本の農水省はむしろ煽っていないか?)。これは世界中の傾向だがもっとニュートラルにしていただきたい。
5.リスク評価の方法にも問題がある
もっと複雑な問題。例えば閾値のないものの場合、反応率と暴露量の関係でリスクありとリスクなしの境界前後の評価が難しい。
→確率分布を利用したリスク評価の仕組みを世界で初めて開発した(この仕組みに関する部分は早足だったこともあり、私の理解が間違いなく生半可なので興味ある人は独自に調べてください)。
6.食品の安全が特殊という考え方が問題
1.とも繋がるが決して食品の安全は特別なものではないということ。またコストの問題やリスクゼロ信仰が罷り通っていることに違和感を覚えよう。
質疑応答より
Q.もっと中西教授のような専門家が意見を発信すべきではないか?
→A.それも最もだがむしろ貴方方のような一般の会社に勤めている人間がブログなどを利用して情報発信せよ。企業に勤めているからといって勘ぐられるとか思う必要はない、長く正しい情報を発信していれば自然と信頼がそこには出来る!
Q.日本だけが食の安全問題などを見ていると特殊で状況が悪くなっているのか?
→まず長い目で見ると圧倒的に良くなってきているので私は安心している。むしろみんながみんなそんなに急にリスク評価に関する考え方を受け入れたらその方が怖い(笑)ダイオキシン騒動のあと、所沢でも講演をしたがその際に主婦の方からリスク評価というのは日々お財布を見ながら食材を買う作業に似ていると思ったとの感想が寄せられその通りだと思った。
ただ、日本の行政官の考え方として、リスクコントロール、情報発信の部分で弱いと思う。例えば専門家会議でもBSEなら獣医ばかりもっと多様な専門家を加えてほしい。
パネルディスカッションは岸本先生のパート以外は退屈だったので岸本先生の部分だけメモします(ちなみに中西教授の体調がおもわしくないということでピンチヒッターとして登場)。
①企業からの視点で日本の消費者は過剰反応するので風評被害が怖いというような考え方もあろうかと思うが、そもそも消費者にとってリスク概念を採用するインセンティブがないだけのこと(A社のリスクが~と難しく考えるより安全そうなB社の商品を選ぶのは合理的)。
∴消費者にも、そして行政から消費者への働きかけも同様に厳しくつまり企業が頑張るしかない。
②企業はそもそもリスク概念に基づくアプローチが社会に浸透すると最も得をする。その意味で「天然だから安心」とか「無添加」とかを考えなしに売り文句にするような商行動は自らの首を絞めているだけ。
③規制影響分析(RIA)の有効活用
・予想される費用と便益
・なぜその規制が必要か
・新たな情報による見通し
④「コスト」を行政はタブー視しないこと。即ち、コストの「見える化」を推し進めれば、施策における優先順位も見えてくる。
「消費者の責任でない」 こんにゃくゼリー事故提訴
>姫路市内で会見した原告代理人の土居由佳弁護士は、こんにゃくゼリーの危険性として、形状やかみ切りにくい弾力性などを挙げた。亡くなった男児がゼリーをのどに詰まらせた時、周囲には祖父母をはじめ大人三人がいたが、一瞬の出来事でのどに詰まったゼリーを取り除くことができなかったという。商品の包装には、子どもや高齢者が食べないよう警告する表示があり、同社はこれを理由に、男児の両親の謝罪、賠償要求に応じてこなかったという。
上述セミナーのパネルディスカッションに登壇した川口氏は消費者庁立ち上げに尽力した現役官僚さまなのですが、最後にこんにゃくゼリーに対する質疑があった際に、野田聖子のこんにゃくゼリー規制すべき発言は、消費者庁が実際に規制したわけではないと切断操作の上、一般論として規制基準は他の形状はありえないか(真ん中に穴開ければいいんじゃないか?)とか、外国ではどうか、一般国民の感覚などをあわせて判断することになるだろうとの苦しい回答。
>ただ、スーパーなどの菓子売り場に置かれているケースが多く、土居弁護士は「幼児が食べることを想定して販売されている」と指摘。「にもかかわらず、責任を消費者に転嫁する姿勢は許せない。安全な製品でない限り、販売はやめるべき」と語気を強めた。(神戸新聞 3/4 09:45)
普通に親が企業に責任を転嫁する姿勢も許せないと思いますがね。
参考;痛いニュースさま「こんにゃくゼリーで窒息死した1歳男児の遺族、「マンナンライフ」に6200万円の賠償請求」
BSE全頭検査「やめられぬ」 全自治体、自腹で継続へ
>国が昨夏から補助金を打ち切った生後20カ月以下の国産牛に対する牛海綿状脳症(BSE)検査について、牛を扱う食肉衛生検査所を持つ44都道府県と33市の計77自治体がすべて、新年度も独自財源で検査を続けることが、13日わかった。多くは検査をやめても安全性に問題はないと考えていたが、消費者の「安心」を重視。「単独ではやめられない」とした。
まさに上記、中西教授のセミナーを参照あれ。全頭検査を何の為に行うかの説明を省いたつけです。
>都道府県には科学者や業者などでつくる任意団体「食の信頼向上をめざす会」(会長=唐木英明・東大名誉教授)がアンケートし、結果を13日発表した。33市には朝日新聞が問い合わせた。 都道府県が答えた検査継続の理由(複数回答)は、「消費者が求めている」が35件と最も多く、「他の自治体と違う判断は難しい」(18件)などが続いた。
リスクがあるからという回答なし(笑)まさに赤信号みんなで渡れば怖くない。
>国は昨年7月末まで20カ月以下の検査費も全額補助。07年度は1億4千万円かかった。だが飼料規制や脳や脊椎(せきつい)などの除去が徹底されていれば、検査をやめても感染リスクは極めて低いと食品安全委員会が判断したのを受け、補助金をやめた。唐木会長は「国が要らないと判断した検査に独自財源を投入するなら、自治体にも説明責任はある。全自治体で連携し、一斉に検査をやめたり、メディアや国を巻き込んで国民の誤解を解いたりする努力をするべきだ」と指摘する。(朝日新聞 2009年3月13日)
説明責任を果たすよりもお金で済ませた方が楽ちんですからね。ある種、政治コストを正しく見積もっていらっしゃるのでしょう(棒読み)
クローン牛・豚「食べても安全」…食品安全委が結論
>体細胞クローン技術で生まれた牛や豚の食品としての安全性について、厚生労働省の諮問を受けて検討してきた内閣府食品安全委員会は12日、「従来の繁殖技術で生まれた牛や豚と差がない」とする評価書案をまとめた。
まあ、そうでしょうねぇ。
>評価書案は国内外230の研究論文を分析。〈1〉遺伝子は従来の家畜と同じで、肉に新規物質は含まれていない〈2〉肉や乳の成分に差がない――などとして、食べても安全と結論づけた。クローン動物は死産や病死が多いが、異常があった動物は早く死に、生後6か月超の牛や豚は「従来の家畜同様に健全」、子孫も「従来の家畜と差はない」とした。
新生物ではないですから、「従来の家畜と同じ」の文句が並ぶだけと。
>クローン牛・豚については昨年、米国や欧州が安全との評価を公表。どちらも出荷自粛しているが、海外で流通し始めると輸入される可能性もあり、厚労省が安全性評価を急いでいた。
◆体細胞クローン技術とは 核を抜き取った未受精卵に、動物の皮膚や筋肉の細胞の核を移植し、その動物と遺伝子が同じ個体を誕生させる技術。高品質の肉牛や乳量の多い牛などを使い、ほぼ同じ性質の「コピー」を大量生産できると期待されている。(2009年3月13日00時00分 読売新聞)
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