2017年1月読書メモ | あざみの効用

あざみの効用

或いは共生新党残党が棲まう地

山中(康裕)はこのときの会話を鮮明に記憶している。中井(久夫)は、自分がなぜ風景構成法を着想したのか、芸術療法研究会での河合(隼雄)との出会いに遡り、青木病院の患者に箱庭療法をやってもらった時の話をした。

「それで山中君、どうなったと思いますか」
「先生、悪くなったでしょう」
「そうなんです。全員悪くなった。だいぶよくなって社会復帰が射程に入ってきたなと思う患者にやってもらったのですが、それが全部悪くなった。どうして悪くなったと思いますか」
「砂が問題じゃないでしょうか。砂が崩れる。崩落するイメージがある。
『一握の砂』を思い出す。いのちなき砂の悲しさよサラサラと握れば指の間より落つ…、砂って落ちやすいじゃないですか」
「その通りなんですよ。ただ、どうして悪くなったのかについてアプローチすることで本当に治るんです。そこで着想したのが風景構成法という新しい方法です。箱庭で患者さんが悪くなるのはよくないので、箱庭を始めていいものかどうかをチェックするテストです」
                                        最相葉月「セラピスト」
 
月末にインフル(A)のおかげで5連休を堪能中、タミフルが効いて熱も引いたためのんびりと読書中―。罹患した時点で選択肢はなく精神論を超えて単に休むしか無いと、この2週間ほど朝5時台に出勤していたためただただウイルスに多謝多謝。
 
 
 トランプ大統領の一挙手一投足に世界の注目が集まり、その期待に応えるようにトランプ大統領は期待を果たしている(皮肉)。かのような現状を分析するに、Post Truthなどより同著の「感情化」がキーワードとしてしっくりくる。メディア側からの仕掛けとしての「感情論」に駆動される大衆からSNSという発信ツールを手に入れた大衆が直に大衆を駆動していく時代―世界をめぐる「情報量」はLINEレベルまで加味すれば大衆>メディア、そしてその大半は「感情」を巡る発露。とすれば民主主義社会に於いて「事実」よりも「感情」、「建前」よりも「本音」をうまく汲み取った政治家が支持されるのは至極当然のことと。
 心情ポモとしてブログ残滓の通り「物語消費論」を受け入れてきた身としては「物語労働論」に改訂を提言するのも時宜に適ったものと理解できる。江藤淳の後継者としての大塚英志氏には「文学」に関心薄いためあまり語るべき言葉も持ち合わせていないが、「スクールカースト文学」なるものを初めて知っただけにその下りは面白かった。
 
 総力戦こそが民主主義・資本主義の揺りかごという考え方は通念(銃が民主主義を作った―)だが、同著でもっとも唸らされたのは深沢欣ニ監督「軍旗のはためく下に」を取り扱った一編。軍法会議において不名誉なる処刑された遺族が、「真実」を求めて戦友を巡礼する中で大東亜戦争の滑稽さを各戦友の語る「真実」(名誉の戦死、芋泥棒、人肉食、学徒将校殺人、B級犯罪の隠蔽…)の中で「名誉」への拘りを捨てるさまが鮮やか。
 
 もはや誰もが否定することができない天下御免の治安良化、その中で都合よく一シーンを切り抜いて若者や表現規制に貶める奴輩に「事実」の鉄槌を、武器はWEB上にあってこそキュレーションメディアなどで増幅されて使われる―。