☆ゲームは「なんとなく」やってると、あまりよろしくない

ゲームやったらバカになる。そうだとしたら、今の日本はゲームのせいで滅亡まっしぐらですが、そこまでゲームが世の中を潰してる印象はありません。

 

 自分は「ゲームは一人で漫然とやってたらあまり成長しない」だろうと考えています。ゲームの持つ要素として

 

 ・何も考えずにやっていても、ある程度楽しい

 ・ゲーム側に自動で仕切られることで、コミュニケーションや話し合いを介在しにくい。

 ・現実世界との関連は得にくいことが多い

 

といったことがあると思います。ゲームは漠然とやってても充足を得やすく、自分意外の人、物事との接触に乏しいため「ゲーム外の活動とリンクしにくい」という性質があるのではないでしょうか。だとすると、ゲームは「ただやるだけ」だと、そのプレイヤーを社会から孤立化させてしまう危険性を孕んでいます。

 

しかし、ゲームのそういった要素は、ゲームとの向き合い方、やる環境によって排することもできます。東大卒プロゲーマーの「ときど」さんは、ゲームに対する見方について、著書でこう語っていました。

 

「ゲームをやれば賢くなる」わけでもないが、「ゲームをやるからバカになる」のではない。

大切なのは、「どれだけ真剣に取り組むか」なのだと思う。真剣に取り組めば、どんなことであっても人は学べるのではないだろうか。ぼくの場合は、たまたまその対象がゲームだったということだ。

 

実際、ときどさんはゲームを通じた経験から多くのことを学んだというのは間違いないと思います。それを立証するエピソードが著書には多く載っていました。

 

中学生時代、ゲームセンターで遊んでいたら二十歳の金髪の兄ちゃんに声をかけられ、ラーメンを食べに行ったり、周りの大人にバカ勝ちしまくってはしゃいでたら反感を買ったり場が白けたり。大人になってからは、海外遠征の中で英語を身に着けたり、今や仕事として稼ぐ武器にすらなっています。東大受験や学会発表までしたほどの研究にも、ゲームで培ったプロセスが役に立ったと綴っていました。

 

ゲームを通してしか出来ない経験の中で、彼は多くの「生きる力」を獲得していったのです。なぜ彼はここまでゲームが自己の成長と結びついたのでしょうか?

 

☆ゲームを「探求的にやる」ということ

先ほど、ゲームは漫然とやっていても楽しいことを問題としました。

彼は、ゲームに「勝つ」という明確な目的を持ち、そのためのプロセスを考え、実行し反省するという、極めて探求的な姿勢でゲームに臨んでいました。自身の練習プロセスを「PDCAサイクル」に例えるほど、システマティックなやり方を構築することに成功していたのです。その結果、豊富な知識を入れる重要性に気づき、最短距離で攻略する方法を自分の中に体系化するまでに至ったのです。

こうして培った探求する能力が、受験攻略や研究に活かされ、素晴らしい成績を収めることに繋がったのです。

 

☆ゲームが「貴重な経験」を釣り上げるエサになった

ゲームをしているだけでは、あまり人と関わったり、自分の考えを深め得る経験は得られませんが、彼はゲームを家でしかやっていなかったわけではありません。ゲームセンターに赴いたり、大会に出ることで、人との関わりを増やしています。そして、中でも超強かった彼は、声をかけられたり、優勝したり遠征したりと、ゲームによって色々な機会をつかみ取っていったのです。

 

☆ゲームそのものにはあまり意味が無いが、ゲームを通じて人は学べる

自分の高校時代、物理の先生が「ゲームは頭悪くなるからやっちゃダメ。麻雀は頭使うからオッケー」と言っていました。しかし、これまで話したことを踏まえると、何をやったかではなく「どこで誰とどうやったか」が大事であることが分かります。

麻雀だって、一人で暇つぶしにネット対戦とかしてても大して成長にはつながらないでしょう。サッカーだって、仲間と関わらず、勝ちたいとも何にも思わずやってたら大して得るものは無いでしょう。逆説的に、ゲームだって仲間とともに、勝つ、もしくは何かしらの目的を持って探求的にやっていれば得られるものはあるということになります。

 

いかがでしたか?「ゲームなんてするんじゃない!」じゃなくて、「やるなら本気でやりなさい!」に変えるのも面白いかもしれませんね(笑)