「勉強」って聞くとどうも良いイメージないですよね。辛い、キツいものだけど我慢してやってれば必ずや良いことがあるでしょう。そんなスピリチュアルな社会通念に守られ、現在まで見事にその「価値」は信じられてきています。

 

「勉強」するということは、興味もない単語やら知識を必死こいて頭に入れる行為を指します。少なくともここでは(笑)そりゃ辛いに決まっています。

 

でも、そもそも新しいことを頭に入れるってそんなに苦しい、つまらないことでしょうか?そこを学校教育や受験競争は本当に見えにくくしていると思われます。そして、つまらない行為を受け入れることが、日本の集団主義社会の形成にかなり「貢献」していることは間違いないでしょう。

 

新しいことを知ろうとしたり、より深くまで探求することに対して、誤解している人は多いかもしれません。でも、そういった行為は「真面目」だから生じるものとは全く限らないはずです。ガリ勉が気持ち悪がられるのは、楽しくもない「お勉強」を死ぬほどやっているからでしょう。そのことと探求的で自己の知的好奇心を満たしてくれる「自主学習」が同列に扱われることは、学ぶことの本質をかなり見えにくくしている、もしくは歪めていると思うんです。

 

興味がないことを押し付けられ、必死に暗記する行為が強制されることで、興味を持ったことを自ら手に取り、自由に深めていく行為まで敷居が高いように見えてきます。実情として、前者の「勉強」観念を学び落としていく必要があるため、その分だけ敷居は上がっているかもしれませんが。

 

そして、後者の「学習」は超楽しいわけです。本読むのも苦にならないばかりか世界が広がるし、時には自分の考えや生き方を肯定するとても大きな味方にもなりえます。そして、集団主義に限界がきている日本社会においては、この「学習」の普及がかなり大事になってきているはずなのです。

 

是非!もっと楽しい学びを!