フラクタルの森での考え方の基礎 | フラクタルの森 玄明 陰陽学  

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ここでは、フラクタルの森での考え方の基礎をお伝えします。

 

物事を正確に把握するためには、より科学的に考える必要がある。

科学的と言えるためには、「論理性」と「客観性」と「再現性」が必要だ。

論理性とは、タテ(時間)軸での積み重ねての観方。

客観性とは、ヨコ(空間)軸での立場(主体・人間)を変えての見方。

 

再現性に関しては、人、時、所を違えても同じ結論が出る必要があるのだろうが、前提条件が違えば違った結果が出るように難しい面が有る。

基本的には、論理性と客観性のタテ軸とヨコ軸の光をあてることで正しく見えてくることだと思う。

 

論理性で言ば、5W2Hのように言葉で表現される。

5W2Hとは、When・Where・Who・What・Why・How・How much(How many)の7つの要素で構成される。

 

要するに観て、判断し、行動し、結果が出るという流れが循環している。目の前のその結果を見て、修正し、判断し、創意工夫を凝らし新たな成果を生み出し、何らかの幸福というものを手に入れようとしているのが私たちの本質だろう。

それぞれの課題で思った成果が得られないなら、この7つのどこかに間違ったものを入れている。

 

前提が違えば、当然ながら判断は影響され行動も違ってくる。

究極の原因には、間違った「世界観」がある。

もっと突っ込んでいえば「宗教観」だ。人生観であり死生観であり宇宙観であり、霊界の存在、創造主の存在に関する世界観である。

反省するにしても世界観、宗教観が違うと全く違ったものになる。

 

世界を深く見ず、見えている所ばかりで考える傾向の人は「どうやって」「どうなった」の「行い」の部分だけに見てしまう。

唯物論であり、無神論になりやすく、信仰心があるという人でも、どうしても「結果」に振り回され結果主義、ご利益主義に引っ張られてしまう。

一番上の表面でしか判断しなくなるのだ。

そして、見えにくい「思い」(道徳・理念)の所が希薄になる。

 

この7つの中で一番重要なのが何かというと「WHY:なぜ」(思い)の所。ここが人生の設計図となり基本となるスタート点なのです。

 

そのためにまともな宗教であれば、「心の教え」が不可欠であるのです。何をどうしたかなどはその次に来るものです。

高額なツボを買ったり、高額な献金をすれば良き結果につながり救われるなどとはダマシのテクニックです。

お経をあげれば御利益があるなどということもミスリーディングです。もちろん思いと行いは連動しており、行為から入ることも有るが、前提には心の教えが不可欠なのです。

思いが変われば行いの中に込められた意味も変わり、行為の強弱も変わり、結局は思いの邪悪さに沿った形へと変化してしまう。

この7つの循環は「思い」を起点に回転している。

私たちは、この思い(悟り)を磨き鍛えるためにこの地上に生まれ人生修業をしている。

 

この「思い」悟性、感性を磨くために不可欠なのは世界の観方です。人、時、所が違えば、同じ課題でも対応を変えざるを得ないように、人間、時間、空間に対する認識の違いで、そのあとのモノがすべて変わってくる。

例えば、死んだら全てが終わるという世界観と、死んでも魂は残り、来世、来来世が有るという認識では、当然ながら人生観も違い思いも違い、生き方も違ってくる。

 

世界観は、大きくは二つあり、無神論・唯物論(見えない霊的世界を否定する考え)と有神論(神や霊的な世界を認める考え)に分かれる。無宗教・一神教・多神教・至高神(万教帰一)の4つに分けて考えることも出来る。

無宗教は最悪です。

 

我々の親であり、主たる神の存在、救世主の存在を信じることです。

 

今、世界は、このことで二分されて対立しています。

霊的世界を認めている存在でも、主なる神を信じているものと、悪魔であっても自分たちの欲望を満たしてくれる者を信じているものとの対立も表面化しています。

闇宇宙の勢力たちとも対立しています。

創造主、神を認めず、自らが神になり世界を支配しようとする者たちとの対立が表面化しようとしている。

まさにハルマゲドンが始まっている。

 

悪魔は、結果を見せてくれ欲望を駆り立てるようです。

世界の政治経済を見ていると二つの対立軸がありますが、どちらがどちらの立場の影響を受けて戦っているかは明白です。

 

アメリカのバイデンが、闇の勢力の影響を受けていることを知る必要が有ります。